2010年11月22日月曜日

最後の改良点


昨日でパフォーマンスの日程は終わった。
なんというか、今までやった事の無いような一対一対応でお客さんと何かをやるというものをやった訳だけど、このような形式になったのもなんか不思議だ。

昨日までのやり方に付け加えて最後の改良したのは

4)中間の物事はなんですか?

の後に更に

5)その反対にあたることはなんですか?

というシツコイ質問を入れてみた。すると

例えば、4)で「普通な事」になった場合
5)で「狂気的な事」となったりする。
これはもちろんすごく幅のある事だけど、これらは
「神聖さ」と「その逆」の間に入っているものごとだということになる。
こういうことを繰り返す事で、人にとっての「神聖さ」をまわりから位置づける可能性のあるマップが作成できるかもしれない。

また、なんだか分からない不思議な場所に最後たどり着けたらもっと素敵だ。

実際の人々の応えについてはまた後日何らかの形で提示しようと思う。

2010年11月20日土曜日

やったこと2つ



昨日私がやったことは、本番前に今回一緒にやるフィンランドの仲間がそれぞれにお客さんとやるエクササイズを一緒に体験させてもらい、そのあと、その反対側のエクササイズをやるとしたらどんなことか?またその両方の一番中間にあたることをやるとしたらどんなことか?それぞれ聞いて、一緒に体験させてもらった。何がその人のモチベーションの根源なのかが私に伝わって来たり、別の可能性について模索している瞬間を一緒に経験したりすることが私の深いところで求めていることなのかもしれない。

本番は、

「Please take me to your favorite CAFE 」

というカードを胸に付けて目をつむって立っていて、人々が来て私を連れてカフェに連れて行ってもらって、そこで

1)あなたの国の言葉でSacredという意味に当たる言葉は何ですか?
2)その言葉をあなたの感覚で他の言葉に言い換えて下さい。
3)その言葉の反対の言葉は何ですか?
4)その2つの中間にあたることはなんですか?
5)その中間に当たる事を私と一緒に今やれることはありますか?

という手順で、最後に何かを一緒にやって終わる。

やってみて、とにかく誰も私を連れて行かない時間がとてつもなく長い。最初90分くらい誰も来なくて待っていた。
けれども、その待っていると言う時間が思った以上に良かった。その間に自分の感覚も体も少しずつ変容して行く。
托鉢とコールガールの中間のような感じ。
「あきらめる」とか「何も期待しない」ということと
「常に可能性があると感じる」ということが
かなり近い距離のものごととして感じるようになってくる。

何を少し改善したらいいか?これから考えようと思う。

2010年11月19日金曜日

あっという間に本番


フィンランドに来てから、二週間近くが経とうとしてますが、あっという間に今日が本番です。
リサーチというものは、分かるようで分からない言葉なので、それぞれにとって何を意味するかがたぶん微妙に違うのだろうなあとか、Sacredという言葉も同様に、どの辺の事を指すのか、共有できているようで共有できてなかったり、また、それぞれに全く違うだろうと思っていると思わぬところで共有している何かを知ったりというような謎のことがらだなあと思ったり。

でもSacredということに対する誠実さで戦争が起きてしまったりもする。だから、その違い、受け入れられなさのようなものがあったら、それをしっかり観察しなければならないだろう。

今回のリサーチでお互いのそういった作業ができたのか?と言えば、ちょっと甘かったなあというのが感想です。

それぞれ違っていい、って口で言うのは簡単だけど、それを口で言う、という程度の事にはあまり意味が無い気がする。
だって、潜在的に抱えている違和感、拒絶間、不信感、そういったものごとが世界を動かしているのだから。

それについて、何かできたらいいなあ。いつかは。

今日と明日のパフォーマンスを自分がやっていく中で、その予感を掴む可能性を模索したい。最後まで諦めずに。
適わなくても、そこに向かうモチベーションを保つことができるか?どんな状況でも?それが私のサバイバルな戦いなのかもしれない。

2010年11月13日土曜日

sacredとは


フィンランド語で、「sacred」は「プハー」と言うそうで、これは「境界」を意味するらしい。
日本の感覚とも近いのではないだろうか?
あの世とこの世の境
その出入り口がたくさんあるのが八百万の神という感覚なのだろうか?
その出入り口を一つに絞ったのが、一神教的な感覚だろうか?

八百万の感覚が私自身にも潜在的にあると思われる。
だから、非常に当たり前の日々に埋没してこそ、それらを感じ取っているとも言える気がしてしまう。
むしろ、「神聖さ」を意識することによって、すべてそれらしい単なる「イメージ」になってしまう気もする。
「神聖さ」というものは、そこに意識を向けようとすればするほど、嘘くさくなってしまう気がする。
だから、別の事に埋没する遠回りする素敵な方法が見つかればいいのだろうか?

また、様々なエクササイズをする中で、何か瞑想的な方向に集中するという方向性と、
何か、前提を一つ外したり、といった「出口」を示されるような方向と2つある気がした。
私は、好みとしては出口的なものが好きだなあと思った。
三つ目の方向性として、チューニングするというのがある。これは、瞑想にも近い印象があるが、そうではなく、もっと具体的で特別ではない何かにチューニングするということによって別の次元を感じてしまう可能性が開かれるというもの。
トチアキさんが、街の中の落とし物を拾いに行くというのを提案して一緒にやった時にそれを感じた。

2010年11月12日金曜日

ヘルシンキ


ヘルシンキに来ている。
リアリティーリサーチセンターという、アーティストのグループの方たちと、私を含め神村さん、トチアキさん、岸井さん、石黒さんの日本人チームとの共同リサーチであり、何らかのアウトプットをする。
テーマは「Sacred」これを日本語に訳すとひとまず「神聖さ」ということだと思うけれど、日本語として古くからの言語であったものではなく、訳語だろうと推測される。

「聖」という言葉はおそらく中国から輸入された言葉だと思われる。

日本という概念自体がいつも微妙に定義され得ないし、私自身、あるいは私たちの根っこにあるものを指そうとする時に、同じ根っこを指す事ができるかすら分からないから、言語化しようとする時にいつも悩む。
しかし、ある言語によってある程度意識を限定されてしまう事はあるだろう。その言語を使うことで意識がある方向に引っ張られたり、分けられたり認識させられたりする部分が必ずあるし、そういったことを手がかりにするしかないような気もする。そうでないと、このテーマ自体を漠然としたイメージの中での記号的な了解の仕方になってしまいそうだ。

今日で三日目。議論と、エクササイズのバランスで進んでいる。立体的にこのテーマを照らしていくような作業ができたらと思う。

2010年10月21日木曜日

リアクションと戦略

日本において、ローカリティーのリアクションと言うのは実はたくさん起きて来た。

これは、単に地方という意味ではない。つまり中央に飲み込まれる事に対する、あるいは管理されることに対する抵抗というリアクションだ。例えば

路上バンドブーム
タケノコ族
アングラ劇ブーム
60年安保闘争

ヤンキー
反抗期

その他諸々

でもリアクションと言うのは基本的に、発作的に無自覚に起きてくるもので、だからこそ、最初の瞬間はリアリティーがある。けれども、一番悪いことは、それがナルシズムに移行してしまうこと、自分を成り立たせるための他者否定のみに陥ってしまうことで、そうなると、それが力を持ったアウトプットには繋がらなくなって行く。一時的なものになって去って行く。

土方巽は、自身の足下の底にある深いローカリティーに接触し、体を媒体にしてエネルギーをアウトプットに繋げることに成功した。
そこには、ただのリアクションではなく、洞察力と戦略があったからに違いない。しかしその時代のリアクションという意味でもリアリティーがあったに違いない。

すべての古い芸能はその時代その時代にとってのリアリティーのある反応だったに違いない。そのことを深く理解する必要がある。
どのような状況でどのようなリアクションがあったのか、またそれがどのような戦略を持って、気高い芸能に結実して行ったのか?リサーチする上で一番重要なポイントではないだろうか。それらを通して、今の私たちがどのようなリアクションを起しているのかあるいは起こせていないのか?起こせる可能性があるのか?見て行かなくては行けないだろう。

韓国から帰国

●韓国に行って
韓国は、パラレルワールドに来てしまったのではないか、というくらいに日本に近似して感じました。都市やテレビの内容はもとより、韓国の田舎に行ったのですが、その途中の風景も一見するとまるで日本の田舎ですが、よく見ると細部が違うのです。昔の家屋に行っても、非常に懐かしくて胸がキュンとなる感じがあって、よく見ると違うのです。ススキ野原、松林、茅葺きのような屋根。日本というイメージを自分の中で勝手に区切っているそういう前提が壊れて行く感じが心地よいです。

●韓国の書院文化
田舎に行った時に書院というところに行きました。それは、私学で、中央の政権とは対峙する立場にあるインテリな人たちがたまったり議論したりもするような場で、それが国の各地にあります。近代化したときに機能としてはなくなりました。しかし、韓国は基本的に中央に対する民衆の反骨精神が非常に強く、また意識も高いです。なので、常におかしいと思う事があれば反発します。し、歴史的に力があったようです。

●民衆の芸能
あと、仮面劇を見ました。これは、私が地元でやっているお囃子や花祭りの鬼が出ている場面にとても似ていて、つまり、中央的な芸能ではなく、民衆のために自治的に行われたものです。これが完全に観光化されているにも関わらず、物凄いエネルギーとお客さんに対する働きかけ、またその受け手の関係に、リアリティーがあり、かなり感動しました。音楽は体の底の方から血を沸き立たせるような力があった。まだこの芸能は生きていると思った。

書院、仮面劇共に、私にとって、今テーマとなっている

「中央」VS「ローカリティー」

の理想的な図で、この国のためではなく、自分たちのために学んだり芸能を立ち上げたりしているということです。日本でもじつは中世には本当に盛んだったし、その流れは江戸までは続いていました。

●日本の場合
ローカリティーのエネルギーは、自分の村の神様や、無縁の場にある信仰などがその後ろ盾となって、中央に対峙する自分たちのための芸能を支えていたのではないだろうかと。日本でそれが完全に瓦解したのが明治の時、「国」の骨格がはっきりと提示されて宗教も「国家神道」に回収させられていった、つまり、全てが中央の下に入った。そうすると後ろ盾となる「おらが村の神様」の力がなくなり、中央に対峙する力もなくなり、芸能自体もリアリティーを失い、力を失うという流れだったのではないか?と思っています。今は国家神道はないけれど、圧倒的な資本のシステムがその代わりに回収しているという感じかもしれません。

●現在のローカリティについて考える
今の時代に、今の日本で、あるいは国という概念の外側で、某かの無縁の場を見出す事が可能か?マジョリティーに吸収されないもう一つのエネルギーを芸術のムーブメントに繋げる事は可能か?

2010年10月14日木曜日

リサーチ行き詰まり

今回の韓国の旅は、なかなか難儀です。
劇場が7歳以下の子供は入れない規則になっていたり、私と会って話ししてくれるアーティストが決まらなかったり、その後決まってもなかなか予定が合わなかったり。
でも、こちらの日常を短い時間ですが味わっている中でなかなか深く感じ入ることもあります。
それについてはまた後日書きます。

日本のトイレ掃除の仕事をしているおばちゃんと、韓国のトイレ掃除のおばちゃんの違いについて。

2010年10月10日日曜日

Korea

I stay Seoul now.
I cannot use my PC, so I try english.
Today I waited long time to call by Daisuke Muto.
And we could meet and we eat pork.

I wrote e-mail few friend.

2010年10月4日月曜日

帰国して、さて

最終日、ディンドンの住まいに再びおじゃまして、今度はディンドンが言う

RASA(Feeling)
Karsa(Action)
Cipta(Creation)

というキーワードを探るべく、おもに上の2つを実践した。
そこには

Spontanitasという直訳すると自然発生的、率直

ということが重要で、何回かのトライで、その実践が可能になって来た。
ただ、ディンドンが求めている物はそこから動きに変換されるということであると強く感じたので、そのことに応えるという側面もあったかもしれない。

私自身、自分の手法でも近いところだがその違いは何なのかということをずっと探った。
私は、感じた事が体自体になんらかの反応をもたらす事は同じだが、動きというものになるというところに全く重きを置いていないで、体自体の質感が変わるというところに可能性を見ているという点で大きく違い、そのことが違いを生んでいると言えるかもしれない。

自分と言う感覚に付いてもう少し突っ込んだ話しがしたかったが、ディンドンもこのリサーチの続行を望んでいて、いろいろな可能性を考えてくれているようだったので、これから時間をかけて少しずつ進めて行きたいと思った。

ところでお腹はやっぱり壊した。コーヒーでした。

2010年9月28日火曜日

シアタークブル


ディンドンの住まいでもあり、活動場所でもあるシアタークブル
なんという濃厚な場所だろう。リアリティーのまっただ中にある、創造的なエアポケットのような開けた場所。
もう、言葉にならない。ここからは何かが生まれるだろう。そう思える場所。

2010年9月27日月曜日

ジェコそしてディンドン


今日は、午後、ジェコ達に、私の手法のひとつ、体の一部分に意識を集中してみたり、その部分を移動させてみたり、別のイメージを同時に持ってみてもらったりした。そのあと、ジェコ達に私の体に対しても同じように命令してもらって私が動いたりした。その動きをジェコ達は物凄く真剣に問いを持って見てくれて、そのことによって、ジェコは、このプログラムの背景にある大きなテーマみたいなものを感じ取ってくれたみたいだった。日本にも、助成金をとって来たいと、そして藤野に滞在してじっくり一緒に作業がしたいと言ってくれた。もしそうなったら本当にインタラクティブなリサーチが始まることになる。凄くどきどきする。

そのあとシアタークブルのディンドンに、公演を見る前にあって話しをした。そしてそのあと芝居を見た。ディンドンはやっぱりすんごい人だった。というか、日本であった時、一昨年ジャカルタで再会した時の印象では、すごく優しい普通のおじちゃんという感じだったのが、もう、すごくエネルギーが縦に充満しているような、神聖な何かに触れているような存在感で、かっこ良かった。ビックリした。彼の地元で、地元の普通の人を集めて芝居をやり始めて、それが今の劇団なのだそうだ。毎日、公演がなくても稽古はやっていて、稽古自体が物凄く好きで、様々な実験的な試みをやっているという。私が昔受けたワークショップでも、無意識の領域を使うと言う方法をやっていた。それが私の凄くあっていた。

意識の領域と無意識の領域を行ったり来たりする、それが今回のテーマだそうで、ただ、芝居を見た時にはそういう要素が身体感覚的というよりは演技として行われていて、少しだけがっかりしたのだが、それでも芝居の普通に見えるような場面でもすごくドキドキしたりゾワゾワしたりした。芝居の作りはテアトルコンプリシテとか野田秀樹とかに近いような展開の仕方で、見ている人の気持ちを興に持って行くのがすごくうまい。うますぎるくらい。うますぎて普通に近くなっているというところが微妙だと感じた。でも、たぶん、その普通をつくっている潜在的な要素、普段の稽古でやっている実験的な試みを体が通過していることによる強さがすごくあって、それが私をドキドキ、ゾワゾワさせていたのではないかと思う。明日話しをじっくり聞いてみる。

2010年9月26日日曜日

3日目


今日は、午前中に博物館で様々な伝統的な建築や芸能などの展示を見ました。
午後はジェコの稽古場を見学して、ジェコの動物ポップという手法を体験させてもらいました。
即興で私も試したりして、なかなかコアな時間を過ごせました。
動物のスピリットというのは、普段から自分の中に住んでいて、形をやるときに自然とそのチャンネルになるようです。
ジェコは、カンガルー、鳥、猿、などの動物の形を瞬時に作ってしっかりと止まる。
ヒップホップは動きの途中で止まるとき、何かバウンドのような動きをするが、パプアの動きは、バウンドせずに突然止まる動きで、こちらの方が難しいのだそうだ。
私は、即興でこの「瞬時に動物になって止まる」という動きの連続を試してみたが、なんだか自分でも全く分からなかった。ジェコは私の体を途中で止めて、これはかまきりだ、これは猿だ、などなど読み解いてくれた。
明日は、ジェコに私の手法を少し試してもらう予定です。

2010年9月24日金曜日

ジェコと会う


久しぶりにジェコと対面した。
パプアやインドネシアに関する様々な話しをしてくれた。
ノートに、インドネシアの地図をフリーハンドで描いてくれた。その器用さに驚愕してしまった。

「後ろにあるものが前にある」
という謎かけのようなものが、かれの作品づくりのコンセプトだと聞いた。
それはパプアというバックグラウンドと深く関係しているようだ。
ジェコと話しをしたTIMという場所は、ある時期に映画館、稽古場、プラネタリウム、事務所、屋外の食べ物屋さんなどなどたくさんの施設を盛り込んだ公園としてつくられた。誰でもプラッとその中に入ってお茶を飲んだり、古い友人と偶然会って話し込んだりしている。長い時間、話し込んだりぼーっとしたり稽古をしたりする。その施設のある建物の中に階段の吹き抜けスペースを利用して一つの木彫りトーテンポールのようなものが飾ってあって、ジェコにそれを見せてもらった。それはパプアのある民族のものだという。一階から三階までの間に高くそびえるそれは、人の形が縦に連ねて掘られている。けれども、そのトーテンポールの一番上が根っこで一番下が木の頭であるという。それも、ジェコの「後ろにあるものが前にある」ということの一つの例だと言う。
明日、もしチャンスがあったら実際に動きをシェアしながら聞いてみたい。

ともあれ、体力が消耗してしまっていて、ちょっと早めに休むことにする。

インドネシアに到着


ジャカルタに到着しました。
またしても、飛行機で耳にトラブルが。
以前、国内便で左耳の鼓膜が破れるというトラブルがあったのですが、
同じ側の耳が、飛行機に乗ってる間ずっと変で、そのあと少しずつ痛みが増え、今、真夜中ですが、左耳がうずうずと動き出したかと思ったら膿みがたらーりたらーり、血に混じって垂れてきました。
やれやれ。どうなることやら。

2010年9月22日水曜日

芸能や人々の流れと多層性

アーティストがある作品の手法を見出す時の潜在的な力を
リサーチによって高めることができると思った。物事の記号的な認識を解体し、自分のウチにある欲求に方法を掴ませ、可能性の幅を広げることができる。なので「Asia Interactive Research」ということを始動しようと思っている。
日本でも呼びかけて少しずつ始めている。手始めに、相模原市の鳥屋の獅子舞を習った。

「日本の伝統芸能や民俗芸能のリサーチをしている。
その延長線上で日本以外の国、主にアジアの様々な地域にリサーチに行く。」
こう表現すると切り口としてはとっても大雑把だ。

例えば「ファンタジーについて」
とか
「無意識の領域について」
とか、そういった切り口で進んだ方がクリアーなことかもしれないとは思いつつ、自分がなぜ興味を持っていて、何を手探りしているのか自問自答する。

「日本」という領域(あるいは国家というの)は、政治的な事情で生じた境界の内側ではあるけれど、実際に認識している像はひとつの幻想だ。集団的に洗脳されている。または、依存している。そして逸脱できない。だけど、様々な言葉、民族、土地に根ざした文化はどれも流動的で多層的だし、それは人工的に引かれた国境の内側にまとめて理解できるような物でもない。だから、記号的な認識を解体し、その「流れ」や「層」を感じたいのかもしれないと思う。たぶん、私自身に繋がる何かとして。

ある芸能が生まれたり展開したりするときに起きている事
それは、その時代に起きている何かに対する身体的な反応だったり抗い(人に好きなように操られないでいたい。何かに従属したくない、という感覚)だったりする。
そして、人々の後ろ盾となるような神聖な何かと接触する。それらは共同体的な自治的領域(反権力的な)で起きる。
その神聖な何かというのが、土地によって多様で、多層的で、異質でもあり共有できる要素もある。


明日からインドネシアのジャカルタで、ディンドン(シアタークプル主催)とジェコシオンポ(ダンサー)に会って話しをしてきます。
このブログで少しずつ公開します。

2010年8月31日火曜日

夏野菜


今年ほど、夏野菜を食べまくった夏はなかった。
畑の初心者で、何をどのくらい植えたら良いのか分かっていないので、やたらにたくさんできるものをやたらにたくさん植えてしまって、まさにキュウリ地獄、ミニトマト地獄。藪のようになって収穫すら危ういといった体たらく。
夏の暑さも半端じゃないが、植物のすさまじいバイタリティーに圧倒された。
取れたてはおいしいけれど、さすがにキュウリは料理方法が広がらなかったなあ。反省。

2010年8月7日土曜日

100807 ゆるゆる愉快なダンス

8月1日に橋本のワークショップと公演が終わった。
これで怒濤のワークショップと公演週間がやっと一段落した。

橋本のワークショップと公演は私にとってすごく大きな仕事になった。
思った以上だった。
企画の林さんがとにかくモチベーションが高く、ビジョンがクリアーだったことが私の仕事を後押ししてくれた。
そういった企画者はものすごく貴重な存在だなと心底思った。
様々なバックグラウンドを持った受講者の方々は、どんなに以外と感じる内容でも、気持ちを傾けて全力投球してくださる。ものすごく謙虚で能動的だった。それで、その多様性と、公演の会場となったインナーガーデンの雑然とした状況が、この作品にとってものすごく重要な要素となって、本番の時間私は音のオペをしていたのだけれど、とてもゾクゾクしてしまった。私にとって大事にしたい要素が、着実に立ち上がって行く、そんな時間だった。今もまだその余韻が体に残っている。

2010年7月28日水曜日

100728 実験ユニット終了

捩子さんはやっぱりどうしても怖いことに惹かれるみたいで、やだ、やだ、と言いながらどんどんイタコみたいになっていった。本番前に2人とも胃がむかむかして吐きそうになったりして、怖かった。本番は、何もしなくていい所なのにねじさんはかってにイタコになっていた。こうなったら、徹底的にそっちに行ってみた方がいいのかもしれないと思った。24日のイベントで、ライブは久しぶりにいろいろ見た。普通じゃないミュージシャンたちのバイタリティーがすごかった。音楽人の根っこの太さみたいなものを感じた。

2010年7月23日金曜日

100723 実験ユニット

ねじさんと明日の本番に向けてここ三日ぐらい実験しているけれど、昨日の夜くらいにはお互いに焦って来てやっとエンジンがかかった。
実験をお互いにとって潜在的に行きたい方向に追いつめて行けないと私は不安なんだけど、ねじさんはおいつめるという感じよりはいろいろ試してみる、面白がるという方向で作るのが好きで、折り合いつけられるのか不安だった。でも昨日はなんとなくお互いに行きたい方向に実験を展開できた気がする。でもねじさんはすぐに霊能者みたいな風情になって、目つきも変わって頭のまわりからもわーっとしたものを漂わせて、もう怖い怖い。ねじさんはダンスいがいにそういう変な才能があるのかも。やばい。2人でインチキ商売でもやるか…とか冗談を言っていた。今日の実験はさらに変な事になるだろう。楽しみだ。

2010年7月8日木曜日

100708 蟻の嗅覚

少し前から、古い作りの家には蟻が常に餌を探して這い回っている。
ボオッっとしてると、机の上にある食べかけやゴミ箱のゴミなどに蟻がたかって大騒ぎ。
キャー!

ってんで、とにかく徹底して餌となる可能性のある物を速攻片付け拭き取り、お酢で拭いたりとかいろいろと工夫をしてだいぶ少なくなってきた。けれど、蟻って、鼻とかないよな〜、っていぶかっちゃうのは、息子が朝ご飯を食べて少しでもこぼし始めると、一匹、二匹、三匹…寄ってくるのだ。明らかに息子に向かって寄って来る。

「ほら、少しでもこぼしたら蟻がやってきて、きりんたんも一緒に食べられちゃうよ〜」と脅してこぼさない訓練にはなるけど。
しかも、息子のご飯が終わってきれいに拭き終わって、保育園に送って、帰って来ると、蟻は一匹もいなくなってる。
動物じゃああるまいし、なんで蟻がこんなに敏感に反応するのだろう。凄い不思議だ。

2010年7月6日火曜日

100703 リアクション

公演のリアクションを、今までにないほどいただいている。
これは本当にうれしい。
内容の善し悪しだけではない、それぞれの引っ掛かりや、それぞれの不快や、それぞれの興味が、新しい問いを生み出している。
それが私の中でまた新しいリアクションを生む。
リアクションの連鎖があって、動きが生まれている。

2010年6月25日金曜日

100625 ダンサー疲労

本番一時間半前だ。
今日はやる筈ではなかったゲネが、昨日の音トラブルでやらなければならなかった。
出演者の疲労は半端じゃない状態になってしまった。

あと、もう一歩先に進めそうなのだが、そこを進んで行くには疲労しすぎている。

あと、もう一歩行きたい。疲労を押して進むか?

2010年6月24日木曜日

100624 向こう側へ行くことの難しさ

別の可能性について、さまざまな模索が続く。
簡単には答えが出ない。
当たり前だ。
舞台上で、向こう側へ行きたい。
壁の前にいても、リスクを抱えていても、その先にある何かに思いを馳せる。
とにかく、思いを馳せる。

2010年6月23日水曜日

100623 向こう側

今回は壁の前で立ち尽くして、途方に暮れることが多く、非常に苦しかった。
いろいろな限界を見たし、その向こう側にある果てしのない何かが自分の観察するべき何かと分ち難く繋がっている様を見、そうであるのに、手が付けられない無力感にも苛まれた。
力を抜いて、今、見ることのできる最低限のことをできるだけ丁寧に見る、その向こう側にある可能性に賭ける。

2010年6月22日火曜日

100622 可能性について

根底にあったテーマが見えて来たぶん、そのデカさにビビる。
デカすぎて全貌は見えない。
全貌がみえないものの、実質を捕まえようとして、目的意識に足を取られる。
崖からずり落ちるみたいに、焦りが自分を引きずり降ろす。

ビビっている。心臓が不規則なリズムを打って眠りを妨げ、固い背中が正気を奪う。

可能性についての作品になるなら、本当に落ち着いて水底に降りていかなけりゃならない。
覚悟を決めて。

2010年6月20日日曜日

100620 捏造への道

いよいよ小屋入り直前。
毎日、少しずつひらめきがあって、更新され、形が現れ始めている。
こんなときはすごくドキドキする。
緊張なのか、トキメキなのか、恐怖なのか分からない。
でも近づいてきている。
その感触だけはいつも直前になってその足音を聞くことになる。
あとは、ダンサー全員が可能性を信じられるか、動き出した作品の、心臓の音を聴けるかどうかだ。

2010年6月18日金曜日

100618 捏造への取り組み

新作『私的解剖実験–5 〜関わりの捏造〜』の作品づくりが佳境を迎えている。
何かを見出そうとして壁にぶち当たり、なんとか一歩乗り越えたと思ったらまた別の課題にぶちあたるというような事の繰り返しで物事の本質に近づくことができているのか、なんども同じようなところをぐるぐる回っているようなもどかしさから、ほんの少しだけ内側に入ることができた気がする。夢の中で逃げる時にどんなに一生懸命走ってもスローモーションになってしまうような悪夢のようでもどかしい。しかし、どのような可能性がかくされているか分からない、自分を緩めると隙間から光が見えて来るものだ。肩の力を抜いて、壁に向き合おう。

2010年6月14日月曜日

100614 シャトー

ちょっと前のことになるけど、おたふく風邪をやっている末期に、武蔵小金井にオープンしたシャトー小金井で「空き地」というイベントに参加した。空き地というのは本当にいいネーミングだ。私の生家の前に昔あった空き地が、私の幼少期の活動場所だった。そこでは、私自身の誰にも抑圧されない欲求がアウトプットされる場だった。あのときに発揮された体の心地よさが、体の奥にはある。息子には、そういった場所があるだろうか?ところで、その時の作品は私自身の体が会場にないというもので、お客さんには指示書だけが渡される。その指示書を書いた私自身の体が、読んだ人の身体と意識と関わる。その渡されていた時間、私はその街に潜伏した。そして、公演が行われていることを全く知らない、興味のないほとんどの人々とすれ違い続け、その中に身を置くということの、初体験が未だかつてない感じだった。その中に身を置きつつ、電話を握りしめて会場のことを強烈に思う。しかしそんなことはお客さんは全く知らない。私もお客さんの一人ひとりの感じは全く見ることができない。様々な課題はありつつも、そういう潜在的な物事が包含されている状況に今は興味があるのだなあ、と実感。

2010年6月11日金曜日

100611 おたふく風邪

5月の中旬におたふく風邪になった。
息子からうつされたらしい。
初めての痛みの種類。
でも、キツかったのは、体がその風邪と闘ってるために、いろいろな機能が体力つきて、胃を始め、様々な内蔵機能が低下して行って、その結果、気力をそがれて行ったことだった。モチベーションが全くなくなるような状態になってしまう。そんな中で文章を書かなければならないときは地獄のようで、でも少しでも改善すると、その分だけモチベーションが上がって来る、その感触を実感することができる、それを使い果たすと、またガクッと力が落ちる、そんな繰り返しで、鍼灸と食べ物でなんとかかんとか持ち直していった。西洋医学の医者に行ってもほとんど何の役にも立たないということを更に実感。

2010年4月28日水曜日

100428 整理

手法が進展していくことに関して、それが進展なのかどうかも分からないし、ナンバリングして先に行くという方法もベストなわけじゃなく、先に行くことで、前に作った作品の改訂が進むことだってあるのだから、もう整理することなんか後でやればいい、そういうことに縛られるのが悪い癖なのだ。なんでも取り入れてぐちゃぐちゃになっても作ってしまえばいい。もう、もうそんなことは後でやれ後で!

2010年4月26日月曜日

100426 ヨコラボ一段落

STスポット主催のヨコラボ一期が終わった。
昨日までの三日間の発表では良い戦いを見ることができた。
それぞれが、自分の欲していることをクリアーにしていく筋肉、余計なことをしないようチェックするセンサー、自分のやっている事を馬鹿にする別の視点をみつけること、舞台上でイマイチな状況の時に、それに飲み込まれずにゼロに立ち戻ったり、状況を観察しつつ冷静にやり直したりする体力、などなど、それぞれにこれから長い時間かけて自分の手法を掘り下げて行ける土壌みたいなものをある程度手にしてもらえた気がする。それぞれの今後が本当に輝いて感じられる。

投げ銭の方法だった。料金設定ってなんだろうってあらためて考えさせられた。
館長の大平さんとも、料金と上演と作品づくりについて、様々に意見交換ができて良かった。
公演にはリスクが必ずつきものだ。でもリスクがあっていいということに甘えてもダメだ。
でも責任という言葉で作家にプレッシャーをかけることが、作品向上につながるとは思えない。
モチベーションの高さしかない。どこまでも自分の先に行きたいという突き上げが作家の中からわき起これば、リスクがあるということはむしろ良く作用するだろう。そういう状況を企画側が作れるかということなのかもしれない。でも、それと料金設定はどのような関係にあるのか?結局は難しい。現実的にかかる料金、かける時間や労力、現段階の能力、判断が難しい部分もあるし。作品とは何か?という問題と、お金との関係について、対話をしていきたいという気持ちになった。

2010年4月19日月曜日

100419 初、畑


昨日、初めて畑づくりをやった。
家族と父で

根などを取り除きつつ耕し
整地して畝をつくり
種と苗を植え
水まきをした

温泉とビールは最高。
昔は必須だったものが、
今は趣味だったり健康だったりのために行われる。
必須だった頃はのモチベーションと、趣味になっている時のモチベーションは種類が全然違うのだろうな。
生きていかなければならないための前のめりの肉体。
そういう時の体を肉体と呼びたくなる。必然性が可能にするアグレッシブさみたいなもの。
そういうものごとから遠い遠い、今の世界のリアリティーってなんだろう?
資本の流れと工業化の中のどこかに、あるいは少しだけはみ出した場所だろうか?
誰かが少しだけ気持ちを傾けたものごと。
気持ちを傾ける余地のない、隙のない流通に、ただ力なく加担し流されて行くだけの行為でしか、食べたり着たり住んだりできないのは悲しい。そこから少しだけずれることができるとしたらどんな方法なのだろう?

2010年4月12日月曜日

100412 カフェイベント終えて

カラダカフェは、ぎゅーぎゅーと考え、朝の電車のなかである仮説にたどり着いた。
人が誰かに向き合った時に、「見る」とか「しゃべる」とかそういう具体的な行動というのは、必ずしも重要なものではなくて、それらのツールを使ってお互いの間になんらかの「状態」を作ろうとする、そういうことが起きてる気がする。ということ。

それをお互いに読み合ったり、どちらかが押し付けたり、なにか共通の土台みたいなものを作ろうとする、そのことを「インターフェースを作ろうとする動き」と捉えることはできないか?

この仮説にもとずいて、出演の三人に「言葉」を使わずに「インターフェースを作ろうとする動き」(動きというのは物理的な体の動きではなく、蠢きというようなことに近いかも)をやってみてもらった。

また、お客さんにも参加してもらった。

ただ、説明が難しく、お互いに曖昧だったのでインターフェースのことを「場」と言い換えたりして、それがかえって、微妙な誤解を生んだ気もする。つまり、場というのは、「ある程度意識的に場を作ろうとする」ことを連想するからだ。

「インターフェースを作ろうとする動き」は、普通無意識に常にあるものだ。

もっとQ&Aを中心にすれば良かったかもしれない、など後悔もあとをたたないが、ひとまず、ある仮説にたどりついたので、そのことの中身のバリエーションをさらに細かく見て行こう。心の休まる間もなく、頭の中は嵐が続きます。

2010年4月10日土曜日

100410 カラダカフェ当日

考えるべきこと、参照すべきことが大量すぎて、情報処理が不具合になっていく。
混乱し、しつつ何かを見落としていると気づく頻度があがって焦る。
ぎゅー、ぎゅー、としつこく考え、整理すること、何度も繰り返す。
こうやって、壁を越えようとする作業を何度も繰り返さないと見えて来ない。
要領が悪いが仕方ない。

始まったら楽しもう。

2010年4月6日火曜日

100406 ベランダで種まき


昨日は雨にやられて憂鬱な心身を持て余してしまった。
家で一人で作業することが耐えられず、八王子の町中で過ごす。

今日は久々に晴れて、気持ちも軽い。
天気によるこの激しい波が辛い。

ベランダでキリンと種まき。
初めて畑を始めるにあたって、苗床づくり。

きゅうり、なす、ミニトマト

ベランダが思った以上に気持ちいい。

2010年4月1日木曜日

100401 ギンイロノウタ

小説ギンイロノウタを読んでから、自分の過去の様々なことが、能天気に感じていた部分でも、実は病的な何かであるかのように照らし出されて、キツい気持ちになった。でもその分それらの感じていたことにすごく距離をとることができた。向こう側に行ってしまった。向こう側に行ってしまったものとして手に取ることができるような感触が生まれた。こういう救われ方っていうのもあるのだなあ。だけどこれを書いた作家は、命がけだったのではないかと思った。命かけないといいものは生まれないのだなあ。ダンサーを三人また振り付けているけれど、その命がけに巻き込むということは大変なことだ。命をかけてもらわざるを得ない、その危険度みたいなものをまたしてもひしひしと感じ始め、このまま突っ走っていいのか?迷う。迷っても結局はそこに行くのだろう。恐ろしい。

2010年3月26日金曜日

100326 内省する人種

世の中には内省する人種とそうでない人種がいるかな?
銀色夏生という人の本を立ち読みしたら、内省っぷりがすごくて、それを文字にするということのすさまじさを目の当たりにした。
こういうのは同じ人種にはたまらなく面白い。
内省したことを自分のノートには書くけど、周りの人をここまで巻き込む内省の状態を文字にして本にしてしまうというのはすごいというかなんというか。文字の世界はいろいろな制約もあるだろうけど、ダンスよりずっと肉感的に何かを感じる可能性があるのかもしれないと思うと、ダンスだから、パフォーマンスだから「体を直接に見る」とか「感じる」とか簡単には言えないなあと思う。

2010年3月22日月曜日

100322 保護者会

まさか、自分がお母さん達のコミュニケーションをするようになるとは想像できなかった。
しかも保護者会の会長という、なんともはやな役割分担を担うとはビックリ仰天です。
ただ、息子の保育園もあと一年となったので、最後の一年保育園のママさんたちと仲良くするのは楽しい。
学校に入ってもそういった感じでいられるのだろうか?お母さんどうしって怖いイメージがあるけど。

2010年3月21日日曜日

100321 ファンタジー

日記を目の前にすると、何を書いて良いか全く分からなくなる。
それがメモ帳との違いだなあと思う。書くために何かを無理やり引き出してくるような感じがある。

まあとにかく。

リアリティーとファンタジーの違いについて考えることが多い。
着る服にしても、昔から何を着ていいのかよく分からない。
それぞれの立場とか身分とかを示すものだったのだろうか?昔は?
今は、なんとなく主婦だからとかサラリーマンだからとか、学生だからとか、そういうカテゴリーに入るために着る部分もあるかもしれないけど、それ以上に他者からカッコ良く見える、そういうイメージを持って着るのかもしれない。何を着ても自分に本当にしっくりくるものはあまりない。選択肢が多すぎるってことなのか?何を着ればリアリティーのある服を着てることになるのかな?

子どもはお下がりが案外、しっくりくる。

どのような家に住むのか?どのような食べ物を食べるのか?何処に住むのか?
選択肢が多いし、必然性が見いだせなかったりする。
結婚式もお葬式も、きっとそうなのかもしれない。

リアリティーのある物事というのは、激しい苦痛の中にいる人の選択の中くらいにしかないのかもしれない。
昔からそういうものなのだろうか?それ以外はすべてファンタジーのようなものなのだろうか?
ここに住んでいるということも?

だけど、瞬間的に何かを実感できたり至福感があふれたりすることの中にはファンタジーとはいいきれない何かを感じたりもする。

2010年3月15日月曜日

100415 親ばか

昨日あるイベントでちょっとだけパフォーマンスに参加して、その際どうしてもきりんを一緒に連れて行かなければならなかった。
それで、パフォーマンス時にどうするか検討したけれど、私がきりんと共にパフォーマンスするということになった。
きりんは最初ごねていたけれど、抱きしめ作戦で説得したら、「おんぶしてくれるならいい」ということになって、おんぶして始めた。
私は完全にパフォーマンスに集中していた。きりんはそういう時いつも、私のパフォーマンスに対する集中を最大限容認してくれる。そして、息を殺して推し量って、集中してついてきてくれる。いつもは完全に自分のペースでしか物事を進めない彼だけれど、私のパフォーマンスに関することは本当にオブザーバーとして受け止めてくれる。それがすごすぎて、完全に親ばかだけど、いつも感動してしまう。

2010年3月10日水曜日

100310 欲求のいろいろ

そうはいっても、自分というものをしっかり人に認識してもらいたいという欲求はすごくある。
直接話しかけて欲しい。自分で自分を認識したい。人の視点に依って自分を認識したい。
そういうことと、「自分を押し広げたい」というのは延長線上の物事なのか?あるいはどこかで枝分かれしている物事なのだろうか?

息子は自分の作った物事に自分の名前をつける。
「きりん弁当」「きりん温泉」etc.
それって、親がそんな風に誘導しているのだろうか?

無視されるというのが、一番きつい。
無視するというのが一番の暴力になってしまう。
それは尊厳を傷つけられるからか?
尊厳を傷つけようという意志が時々人の関わりの中で起きる。
誰かの尊厳を傷つけたいという欲求が人の中にあるのはなぜだろう?
自分の尊厳を守ろうとする時に起きるのかもしれない。
もちろんそんな欲求はなくても、ざっくりとやってしまうという人もいるだろうけど。


どんな状況でも、相手に対して敬意を持ち続けるにはある程度努力がいる。
自分の子どもであっても、むかつく相手であっても。それを踏み外しちゃうと必ずトラブルが起きる。
人の関わりの状況は、このようなトラブルだらけといっていいかもしれない。ジャングルだ。
その中にあっても自分の原則を破らない努力がジャングルを生き抜くサバイバル方法なのだろう。結局は。
自分があくまで暴力を振るう立場でいる努力をする人は大勢いるけど、サバイバルになってるのだろうか本当に。
それって、爆弾を抱えていて、その爆弾を大きくして、貯金しているようなものかも。

2010年3月9日火曜日

100309 欲求の種類

1)自分を押し広げる欲求と、
2)自分を壊して無くしていく欲求

この2つの欲求はどこかで繋がっているのか?
全くちがう種類のものなのか?

自分を押し広げようとしている物事や人々を見ると、気分が悪くなってしまう。
でも自分にそのような欲求が全くない訳ではないかもしれない。
自分のなかにあるそれを刺激されるのがいやで気分が悪くなるのかもしれない。
そこから逃れるように、私は二つ目の欲求を追いかけようとしているのだろうか?

また、二つ目の欲求はその先に何かがあるという予感がある。
手探りし、触れることのない何かへと先へ延ばされる手。

「欲」──人は神を仰ぎ見て、その到来を待ち焦がれます。その期待を「欲」といいます。「サイ」を供え、開口して羨望する形です。それに応じて、神は霊気のようなものをただよわせて、その出現のきざしをほのめかします。(神様がくれた漢字たち 白川静香監修 山本史也著 理論社)

2010年3月8日月曜日

100308 神楽


土曜の夜から翌日の朝まで、布川の花祭りを見てきた。
場所や様々な物を一つ一つ丁寧に清めて行く儀式があって、本当に隅から隅まで浄化する。
それが済んでしまえば、極めて緩く祭礼が始まって、いわゆる舞台上の決まり事とはまったく違うそのコントラストに驚き、またいろいろと考えさせられた。いわゆる緊迫感が全くない状況の中で、踊りは始まり、しかし一つの踊りに40分以上はかある。同じ動きの繰り返しが基本だが、興にのる部分が必ずかる。踊り手に話しかけたり本人もだべったりする。見ている土地の人は体がうずうずして、常に踊りたいのを我慢しつつ揺れているというような感じの、その体がすごく印象に残った。外から来ている人たちは緊張して見つめて、写真を構えたりしていて、すごく温度差があった。都市文化とは違ったローカルな文化の濃厚さ、そこにしかないノリというものがある。移動が何処にでも行けて、情報もどこのものも手に入りやすい状況は、地域の人にとって何をもたらしているのだろう?そして何を奪っているのだろう。

2010年3月5日金曜日

100305 物忘れ

物忘れがひどくて困る。
自分が何かやろうとして、後でやろうなんて思ったら、もう最後。
そのあと思い出そうとする時間で埋め尽くされる。

子どもがいると、さらに、その思い出そうとしてる時に話しかけられて絡まれているうちに、完全にどこかに行ってしまう。
でも忘れることにも何かの役割があるのかもしれない。

2010年3月4日木曜日

100304 情報処理

私は情報処理能力が欠けている。
それでも自分の能力を超えて何かをやりたくなって、
いつも破産する。
やりたいことのモチベーションがとても高くても、維持できなければ意味がない。
モチベーションをほどよい力で持続するには何が必要なのだろう。
たぶん、心身の体調管理に違いない。
観察を本業にしている割に、ぜんぜんうまくやれてない。
昨日はキリンと高尾山に登った後、お灸に行った。
お灸先で、瞑想を勧められた。

2010年2月27日土曜日

100227 日記初め


また、続くか分からないけれど、書いてみる。
「意識」という言葉は元々、外来語なのだろうか?
ウィキペディア

には、多岐にわたる意味が書いてある。

元々これに近いことで日本にあった言葉は何か?
日本では「意」という言葉がそれにあたるのか?
中国ではこの漢字は同じ意味なのだろうか?

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「意」
会意。音と心を組み合わせた形。音によってその心をおしはかるので、「おしはかる」がもとの意味である。音とは神の「音ない(音を立てること)」であり、神の前に言(神への祈りのことばや文である祝詞)を捧げておく。言は祝詞を入れる器であるサイの上に、もしその祈りが不正のことであれば入れ墨の刑罰を受けるという誓いのしるしとして、辛(入れ墨用の針)をそえる形で、神に誓って祈ることばをいう。

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もともと外来語であったらしく、認識しきないと感じる言葉はたくさんある。