2013年10月23日水曜日

間にあるものとしてそこに置く

という名前のパフォーマンスを行った。
dividualということから派生して、人と人の間にある何かが人を包むようなことについて考えている。それで、人と人の間にあるものが動き出す、ということが実はノリということなのかもしれない。またそういった動き出したものが結局は政治であったりしたのかもしれない。それは、individualな人々が意識的に一緒に行動したり仲良くするということとはとても違う気がする。もし違った感覚の人同士がいたら、その人と人の間にある何かというのは必ずあって、そこにはいろいろな可能性が含まれる。人と人の差があればあるほど、可能性は広がって行くと考えることもできる。間にあるものが動き出すには何が必要なのか?

2013年10月1日火曜日

偽の目的意識 3


さて、もうひとつ違う話。ちまたで大流行りする何か、例えば洋楽とか、日本のポップミュージックとか、全世界的なアイドルとか。そういう人たち自身が一つ一つ自分の歌を歌っているような気分でいるときに、常に、そこには別の次元の人々による、別の思惑のような何かがある。そういうときに、人々は、偽の目的意識に飛びついているのだと思う。そして、それ以外の思惑のことは思いもよらないのだ。大流行りする商品のコマーシャルもそうだろう。そのコマーシャルが告げている効能に飛びつく。でもそこには別の思惑があって、まんまと引っかかっていく。偽の目的意識「一人一人の健康のために」とか、「美しく自立した女性像」とか。

つづく