2019年11月9日土曜日

ベルリン日々の問い 16「空気を読む」の正体について

特定の話題を持ち出しずらくなるということが、今の日本で何年か前から続いている。けれども、それに近いことはもっと小さな集団の中で割と簡単に発生する場合がある。つまり、ある小さな集団あるいは組織の中で、特定の話題、あるいは問題意識をそこに乗せてはいけないという暗黙のルールが生じている、それもいつの間にか生じていることがある。それは、お互いの中に発生する空気ということではなく、運営なり経営なりそこにいる一番偉い人のプライドなりに傷がつかないように配慮するという、どちらかといえば「顔色を伺う」という状況が生まれるのが原因なのではないだろうか。これは、人と人が互いに慮ることで上手くやるとかコミュニケーションを快適にするというのと、全く違うフェーズだと私は感じている。顔色を伺うという意味で空気が読めない場合に、別の理由で攻撃を受けたり疎外感を感じさせられるような関係に変化したりする。つまり、そういう不利益を被らない為に、自分も監視する側にまわる。そうすることで自分の立場が安泰になる。そういう悪循環なのかもしれないと思う。そういう状況を打破するとしたらいったい何が必要なのだろう?

ちなみにベルリンでは(あるいはドイツでは)どうなのかということについては、私はまだよくわからない。今はまだ団体にも組織にもほとんど無縁な馬の骨としてさすらっているので…。

2019年10月29日火曜日

ベルリン日々の問い 15 ベルリンと日本と

ベルリンで生活することで、日本との違いもいろいろ見えてくる。でも、その違いを決定的なものとして扱うのではなく、相対的に見るひとつのプロセスとして扱うようにしたい。

例えば、
・ベルリンではいろいろな人が「どう見られるか」ということをあまり気にしていない。
・出会い頭に話しかけたり、微笑みあったり、助け合ったりする。とても気軽に。
・優しい人は本当に優しく、ひどい人は本当にひどい。その差がとても激しい。
・働いている最中の人は、基本的に不機嫌であまり親切ではない。
・働いていない人は、基本的に上機嫌でとても親切。

ベルリンで生活することは基本的にリラックスしていられる。でも別の面を見ると、ヴィザをキープしたり、保険や様々な書類のトラブルが絶えなかったり、いつも緊張にさらされる。日本にいたら、気にしなくていいようなことをいちいち気にしなくてはならない。例えば、もし聞かれたらパスポートを提示できるようにしておいたほうがいいとか、多民族のため、政府はいつも人々がトラブルを起こさないように見張っているという側面もある。税金とか、交通費とか、支払いの不備についての厳しさがすごくて、それも緊張の一つになる。また、もしスリにあったりものの置き忘れがあったら帰ってこないという緊張感もある。でも実のところ、私はクレジットカードを2回も切符の自動販売機に挿し忘れたけど2回ともきちっと帰ってきたので、とても親切な人や正直な人がいるのも事実。

でも日本では時期によって緊張度がちょとずつ違ってくるような気もする。人目を私は日本でそんなに気にしていたのだろうか?あまり気にしていなかったような気もする。例えば空港でももんぺ姿で歩いていたりしていたし、化粧もしてないし、髪もねぐせが付いていたし。

2019年1月24日木曜日

ベルリン日々問い 14 9月からのあれやこれや

こちらでドイツ語の学校に行き始めてからあまりにも忙しくて、自分がこまごまとやったことを記録することもできなかったけれど、少しずつやっていこう。

・ベルリンの奇妙な人々との出会いについて
これについては後日書く
・ダンス公演の上演10月13日 @URBANRAUM
ベルリンでの奇妙な人々との出会いをそのまま作品にした。自分の中で、何をしたらいいのか?自分がどこに立っているのか?よくわからなくなって、何をどのように探したらいいのかさまよいながら作品を作った。しかし、そのようなわからない状態、さまよっている状態そのままに、途方にくれてる感じそのままに舞台の上に立てたらいいと思って取り組んだ。そして、思った以上にお客さんに響きが伝わった感触があり、ベルリンでやっていけるかもしれないという思いが生まれた。
・Encounter the process  11月 言葉と体の関係ということで、はるかさんに何かを描写する3つのオノマトペで表現してもらい、その質感を体の中にイメージすることで動く。また、「散らす」「ばらまく」「探す」「さぐる」など微妙な違いの動詞と「流れる」「振動する」など自分自身が「なってしまう」動詞を体で表現し、それぞれの言葉がどのあたりの範囲になるか?ということを人の違いによる違いも含めて検証しつつ、その動きを見た時に別の言語(この日はたまたま英語)ではどの言葉にあたると想像するか?という問いにお客さんにも答えてもらい、こんどはその言葉から、もし別の動きがあるとしたらそういう動きか?というのを動いてもらい、こんどはその動きを自分なりに解釈して動きながら、その言葉の範囲を手探りする、という複雑な取り組みを行った。
はるかさんは、いくつかのマテリアルを使って、それぞれと禅問答をする、という試みを行い、映像も使って要素も多くなったけれど興味深い試みにみんな集中してみていた。
・Encounter the process 1月 ひとつは、ソロで「偽の目的意識」によって何かを引き出す、という試みを行った。まず、英語の単語(この日はMirrar)をひとつ書いてもらい、その言葉を体の脇の下から入れ口から出す、という実験。英語はとても難しいと感じ、そのあと日本語で試す。この日は「左に曲がると海が見えます」という文章で、これを左の肩甲骨のあたりから体に入れ口から出した。なかなか面白い響きが生まれた。足立智美氏とのコラボレーションで、「hören」の動詞の変化を練習しながらそれがだんだん歌になるというのをやった。もうひとつ、お客さんにそれぞれ単語を1つずつで3つ書いてもらい、それを使って足立さんが歌を歌い、私はその単語を聞いてその周辺についてを(その単語を使わずに)歌にするというコラボレーションを行った。足立さんのソロの歌もとても興味深いものだった。また、はるかさんは前回やったものを、それぞれマテリアルを一つずつだけにして短い実験を行っていた。より集中度と、そこから派生する動きが自由に生まれていてこれからの展開が楽しみになってきた。