2021年12月16日木曜日

こんなことばっかり考えていたくないけど 2021年12月16日

 3.11の大震災によって起きた原発事故を経て、自分がいかにいろいろ見えていなかったかを思い知ったけれど、そのあと様々な問題意識を持って向き合ってきたつもりだったけれどまだまだ、何も見えていなかったんだということが、今回のコロナ騒動でさらに実感することになった。そして、タブーというものがどうやって生み出されるのかを思い知った。今や、ワクチンの副反応について、実際に被害を被った人であっても、それを目の当たりにした人であっても、それについて言及することはできるだけ避ける傾向にあるのを感じる。ここに至るまでの流れは本当に巧妙で、「脱帽」という感じさえする。

1)レッテルを貼るための準備期間として、ある方向の考え方や疑問を持つ人向けに極端な見解や、似通ってるけど微妙に間違った情報を流して釣る。あるひとつの鍵を隠すために、似たような鍵をばらまいて撹乱するように。間違った鍵に群がった人にレッテルを貼る。レッテルを貼られた情報源の人に「心の病気」「頭がおかしい」「間違った方向に洗脳された」というような辱めを激しく与え続ける。そのことで、実際にある方向へ疑問を持つことを人が避けるようになる。疑問を持ってもそれを口にしなくなる。

2)「正しい側にいる」と社会的に認められなければならない、という強迫観念を人々に植え付ける。そのためにさまざまな「頑張っている人」の写真や動画で「社会全体の利益のために個人が、自分の意に沿わないことであっても協力するべき」という空気を作る。「私は科学を信じる」「みんなで団結して乗り越える」「誰も取り残さない」など、シンプルなキーフレーズを世界的に流行らせる。

3)「⚫︎⚫︎が足りない」という情報を流すことで、ほとんどの人がそれをすごく欲しているという認識を植え付ける。また、足りなくなると困る、という焦りや競争心を促す。

4)人を直接合わせない、集まらせない、喋らせない。直接人と接することができなければ、感じていることをシェアすることは難しくなる。その間に、さらなる情報のシャワーで、ある一方向のみの共有認識があたりまえである、と思い込ませることができる。自分の持っている疑問は、自分だけが持っていると思い込ませ、孤立させ、黙らせる。

5)ソーシャルディスタンスやマスクを通して、人は見えない「ウイルス」を実際にそこにありありと浮遊しているように感じていく。マスメディアの流すコロナビジュアル、感染者数のグラフや死者数と重なってそれらが脅威としていつも自分の周りにいると思い込ませることができる。

6)実際には、小さな利権集団と巨大な利権集団との戦いだったりすることを、小さな利権集団に人々が腹をたてることを利用し、巨大な利権集団のプロパガンダを美談のように感じさせ、彼らが人々の味方であり、正義の味方であるように見せることができる。実際には敵の敵もまた敵にすぎない。

などなど、それ以外にもたくさん…。

過去に起きた公害や薬害も、被害が始まってから3年くらいはそのまま放置され、被害が拡大する。どうしてそうなるのか?とても不思議だったけれど、今起きていることを見ると、それもなんとなくわかるような気がする。暗黙の了解としてそれを語らなくさせることは意外と簡単なのだ。そして、今回の被害は、特定されないあらゆる種類の身体的不具合であり、偶然としてかたずけることはさらに簡単であり、製薬会社は初めから免責であり、場合によっては個人が自分の意思であることをサインしている。すべては闇に葬られるだろうし、そっちの方が楽だと感じる人も多いだろう。しかし、実際にはそれだけでは済まされず、人権や基本的な自由を「社会全体の利益」のために犠牲にする方向がますます加速する可能性がある。行き着くところまで行ってしまうのか?

どんな理由があっても「自分の意に沿わないこと」を強要されることからは逃げなければならない。そのための権利が奪われないよう、法的な改正が起きないよう見張り続けなければならない。

実際にはこんなことばっかり考えていたくない。楽しいことだけ考えていたい。それによってこの状況を切り抜けることができるならそうするけれど。感じていることを、感じているままに書くことの難しさよ。しかし、黙ることはやはり加担することになるのではないか?そういう思いをぬぐいきれない。本当のことは時間が経たないとわからないとしても。