2016年11月14日月曜日

水の駅

Kyoto experimentにて水の駅を見た。原作は太田省吾氏、演出はシャンカル・ヴェンカテーシュワランさん。この舞台には、私の友人であるスリランカ出身のヴェヌーリも出演していた。

ある一定の時間を引き伸ばされたような動きは、自分のプライベートトレースでも取り組んだ方法に近い部分もあるが、「演技」という側面では大きく違うのかもしれない。引き伸ばされた動きの中に含まれた感情が、神聖さを伴った何かに見えるシーンがあり、自分の深いところの何かが揺さぶられた。そのことが断片的であってもこの作品全体を覆っていた。

私にとって大きかったのは、「水」が象徴している何かで、それは記号を超えて私の中に何かを呼び覚ます。演劇では比喩が多用されるのが常で、それが頭を満足させるような知的経験として見えるときには私には何も伝わってこない。しかしそれ自体が「見立て」の効果、つまり呪術的な作用によって、体、あるいは心にもたらす臨場感というものがこれだけ強くあるのだ、という経験を、この劇がもたらしてくれた。それは、この劇を見たタイミング、自分の今直面していることと深く関係しているかもしれない。


直接社会的な問題に触れなくても、同時代に生きる人々の「生き死に」に強く働きかけることができるのだ、ということを学ぶ機会であった。

2016年5月12日木曜日

芸能と芸術 15年の実験履歴 韓国での上演を終えて

『15年の実験履歴』を福岡、シンガポール、横浜、光州(韓国)と4都市で上演して、ひと段落。
この作品の一つ一つのシーンは行うことというか方法論は同じでも、見に来てくれる人々や場や私のタイミングや様々な要素によって多様な結果になる。その一つ一つをこうだから良かったとか悪かったとか判断をすることはできない。そこに立ち現れたそのものが作品の一部だ。見た人にとってはその一場面の出会いだけなので、固定された何かと判断することもあるだろう。その何かを俯瞰した視点から価値づけできるか精査するという発想もあるかもしれない。でもそこにいる場所から響きとして受け取ってくれた人にとってはその人のその時の出会いとして響きがいつまでもお互いに続いていくような経験でもある。それがいい響きでであるとは限らずたとえば一つの違和感や不快感であっても、ひとつの問いとしてその人の中で続いていく何かかもしれない。

光州の上演のあと芸能と芸術の違いについて少し話題になって、自分なりに感じていることを書いてみる。それぞれの言葉がどのように定義されているかは、日本においてはかなり曖昧であると思う。それぞれの言葉が発生した経緯が違いすぎるし「芸術」という言葉はもともと日本にはなかったもので、言葉を線ではっきり区切るように定義する方法によって知的な考察をしてきた西洋文化の中から出てきた言葉だ。それは、俯瞰した場所から価値があるかを精査する視点に対して意識的であるような行為として生まれてきているのだろう。でもそれらがそれぞれの時代に反応し政治的とも思えるような動きをする時があって、それはその時代の中で互いのアウトプットに反応しあい、価値基準とされているものに唾を吐くような反応としてみることもできる。その反応の仕方はかつての芸能の姿に重ね合わせることもできるように感じる。そういったことがもし、今の時代に起こせるとしたら、アーティスト同士が互いに深く反応しあえるかどうかにかかっているし、それらを俯瞰した視点から価値があるかどうか精査する視線に睨みを効かせるような胆力が必要だろう。

最後に、「artissue」というWeb誌に書いた自分の文章で、大切な箇所を見つけたので、再度記しておきたい。

今起きている事に反応できるからだ、踊ってしまえるからだを、見ている人が取り戻せるようなダンスがあったら、ダンスに限らずそういったアイデアを誰かが出して行けるような場があったら、それが本来的に私たちの時代を別の時代の連続としてもう一度取り戻すことができる。そうすれば、新しい時代も開いて行くことができる、そういった可能性を夢想しています。