2010年4月28日水曜日

100428 整理

手法が進展していくことに関して、それが進展なのかどうかも分からないし、ナンバリングして先に行くという方法もベストなわけじゃなく、先に行くことで、前に作った作品の改訂が進むことだってあるのだから、もう整理することなんか後でやればいい、そういうことに縛られるのが悪い癖なのだ。なんでも取り入れてぐちゃぐちゃになっても作ってしまえばいい。もう、もうそんなことは後でやれ後で!

2010年4月26日月曜日

100426 ヨコラボ一段落

STスポット主催のヨコラボ一期が終わった。
昨日までの三日間の発表では良い戦いを見ることができた。
それぞれが、自分の欲していることをクリアーにしていく筋肉、余計なことをしないようチェックするセンサー、自分のやっている事を馬鹿にする別の視点をみつけること、舞台上でイマイチな状況の時に、それに飲み込まれずにゼロに立ち戻ったり、状況を観察しつつ冷静にやり直したりする体力、などなど、それぞれにこれから長い時間かけて自分の手法を掘り下げて行ける土壌みたいなものをある程度手にしてもらえた気がする。それぞれの今後が本当に輝いて感じられる。

投げ銭の方法だった。料金設定ってなんだろうってあらためて考えさせられた。
館長の大平さんとも、料金と上演と作品づくりについて、様々に意見交換ができて良かった。
公演にはリスクが必ずつきものだ。でもリスクがあっていいということに甘えてもダメだ。
でも責任という言葉で作家にプレッシャーをかけることが、作品向上につながるとは思えない。
モチベーションの高さしかない。どこまでも自分の先に行きたいという突き上げが作家の中からわき起これば、リスクがあるということはむしろ良く作用するだろう。そういう状況を企画側が作れるかということなのかもしれない。でも、それと料金設定はどのような関係にあるのか?結局は難しい。現実的にかかる料金、かける時間や労力、現段階の能力、判断が難しい部分もあるし。作品とは何か?という問題と、お金との関係について、対話をしていきたいという気持ちになった。

2010年4月19日月曜日

100419 初、畑


昨日、初めて畑づくりをやった。
家族と父で

根などを取り除きつつ耕し
整地して畝をつくり
種と苗を植え
水まきをした

温泉とビールは最高。
昔は必須だったものが、
今は趣味だったり健康だったりのために行われる。
必須だった頃はのモチベーションと、趣味になっている時のモチベーションは種類が全然違うのだろうな。
生きていかなければならないための前のめりの肉体。
そういう時の体を肉体と呼びたくなる。必然性が可能にするアグレッシブさみたいなもの。
そういうものごとから遠い遠い、今の世界のリアリティーってなんだろう?
資本の流れと工業化の中のどこかに、あるいは少しだけはみ出した場所だろうか?
誰かが少しだけ気持ちを傾けたものごと。
気持ちを傾ける余地のない、隙のない流通に、ただ力なく加担し流されて行くだけの行為でしか、食べたり着たり住んだりできないのは悲しい。そこから少しだけずれることができるとしたらどんな方法なのだろう?

2010年4月12日月曜日

100412 カフェイベント終えて

カラダカフェは、ぎゅーぎゅーと考え、朝の電車のなかである仮説にたどり着いた。
人が誰かに向き合った時に、「見る」とか「しゃべる」とかそういう具体的な行動というのは、必ずしも重要なものではなくて、それらのツールを使ってお互いの間になんらかの「状態」を作ろうとする、そういうことが起きてる気がする。ということ。

それをお互いに読み合ったり、どちらかが押し付けたり、なにか共通の土台みたいなものを作ろうとする、そのことを「インターフェースを作ろうとする動き」と捉えることはできないか?

この仮説にもとずいて、出演の三人に「言葉」を使わずに「インターフェースを作ろうとする動き」(動きというのは物理的な体の動きではなく、蠢きというようなことに近いかも)をやってみてもらった。

また、お客さんにも参加してもらった。

ただ、説明が難しく、お互いに曖昧だったのでインターフェースのことを「場」と言い換えたりして、それがかえって、微妙な誤解を生んだ気もする。つまり、場というのは、「ある程度意識的に場を作ろうとする」ことを連想するからだ。

「インターフェースを作ろうとする動き」は、普通無意識に常にあるものだ。

もっとQ&Aを中心にすれば良かったかもしれない、など後悔もあとをたたないが、ひとまず、ある仮説にたどりついたので、そのことの中身のバリエーションをさらに細かく見て行こう。心の休まる間もなく、頭の中は嵐が続きます。

2010年4月10日土曜日

100410 カラダカフェ当日

考えるべきこと、参照すべきことが大量すぎて、情報処理が不具合になっていく。
混乱し、しつつ何かを見落としていると気づく頻度があがって焦る。
ぎゅー、ぎゅー、としつこく考え、整理すること、何度も繰り返す。
こうやって、壁を越えようとする作業を何度も繰り返さないと見えて来ない。
要領が悪いが仕方ない。

始まったら楽しもう。

2010年4月6日火曜日

100406 ベランダで種まき


昨日は雨にやられて憂鬱な心身を持て余してしまった。
家で一人で作業することが耐えられず、八王子の町中で過ごす。

今日は久々に晴れて、気持ちも軽い。
天気によるこの激しい波が辛い。

ベランダでキリンと種まき。
初めて畑を始めるにあたって、苗床づくり。

きゅうり、なす、ミニトマト

ベランダが思った以上に気持ちいい。

2010年4月1日木曜日

100401 ギンイロノウタ

小説ギンイロノウタを読んでから、自分の過去の様々なことが、能天気に感じていた部分でも、実は病的な何かであるかのように照らし出されて、キツい気持ちになった。でもその分それらの感じていたことにすごく距離をとることができた。向こう側に行ってしまった。向こう側に行ってしまったものとして手に取ることができるような感触が生まれた。こういう救われ方っていうのもあるのだなあ。だけどこれを書いた作家は、命がけだったのではないかと思った。命かけないといいものは生まれないのだなあ。ダンサーを三人また振り付けているけれど、その命がけに巻き込むということは大変なことだ。命をかけてもらわざるを得ない、その危険度みたいなものをまたしてもひしひしと感じ始め、このまま突っ走っていいのか?迷う。迷っても結局はそこに行くのだろう。恐ろしい。