2010年4月12日月曜日

100412 カフェイベント終えて

カラダカフェは、ぎゅーぎゅーと考え、朝の電車のなかである仮説にたどり着いた。
人が誰かに向き合った時に、「見る」とか「しゃべる」とかそういう具体的な行動というのは、必ずしも重要なものではなくて、それらのツールを使ってお互いの間になんらかの「状態」を作ろうとする、そういうことが起きてる気がする。ということ。

それをお互いに読み合ったり、どちらかが押し付けたり、なにか共通の土台みたいなものを作ろうとする、そのことを「インターフェースを作ろうとする動き」と捉えることはできないか?

この仮説にもとずいて、出演の三人に「言葉」を使わずに「インターフェースを作ろうとする動き」(動きというのは物理的な体の動きではなく、蠢きというようなことに近いかも)をやってみてもらった。

また、お客さんにも参加してもらった。

ただ、説明が難しく、お互いに曖昧だったのでインターフェースのことを「場」と言い換えたりして、それがかえって、微妙な誤解を生んだ気もする。つまり、場というのは、「ある程度意識的に場を作ろうとする」ことを連想するからだ。

「インターフェースを作ろうとする動き」は、普通無意識に常にあるものだ。

もっとQ&Aを中心にすれば良かったかもしれない、など後悔もあとをたたないが、ひとまず、ある仮説にたどりついたので、そのことの中身のバリエーションをさらに細かく見て行こう。心の休まる間もなく、頭の中は嵐が続きます。

0 件のコメント:

コメントを投稿