2020年8月28日金曜日

不安の波をやりすごすと小さな奇跡が力をくれる 2020年8月27日

ずっと、同じことばかり書いている気がする。

でも、書けるようになる時というのは自分の深い部分に何がしかのエネルギーというか希望というか、そういう底力が戻ってきた証拠でもある。あるいは、底力を取り戻そうとするエネルギーが蘇ってきた証拠でもある。

本当に奇跡をなかなか信じられずにいたけれど、今は新しい部屋に住むことができている。しかも、ずっと無理かもと思っていたパートナーの渡航も叶った。だから言うことなしなはずなのだが、やはり大きな不安を抱えたままでいる。このような不安の火種がなくなることはないのかもしれない。でも、自分のことで具体的な不安と向き合っていると、漠然とした不安を感じずに済むという利点もある。

息子の学校が決まらない。コロナ禍の中であることも大きいけれど、小さな軌道のズレがどんどん大きくなっているように感じる。元担任の先生から始まって様々な公共機関の責任関係が私には測りかねているけれど、それら一人一人に悪気はなくて、でもちょっとした小さなめんどくささや諦めの積み重ねが軌道を逸らす役割を果たしてしまっているように感じてしまう。私自身がもっと全力でその辺のところをリサーチしておくべきだったかもしれないけれど。

でも家が決まらなかった時も、二度と見つからないと感じていたし、住民票が取れなかった時も、いつまでも取れないように思っていたけれど、それらは様々な人の信じられないような大きな全力の支援があってここまで辿り着いている。だから、きっとこの状況も改善する日がくるだろうと信じるしかない。そして、私もいつか誰かにそういった全力の支援をしようと心に誓う。

ベルリンでは、特にコロナ禍の中では、様々なことが簡単には済まない。様々な小さな障害が生じて、時々どうにもならなくなる。荷物一つ届かなかったりする。そのかわり、今では、荷物がちゃんと手元に届くというだけでも奇跡のようにうれしい。それらは難しい状況の中にいるからこそ、ほんとあたりまえのようなことがとても嬉しいことに感じる。もし、当たり前のことであり続ければ、それが届いても別に喜びは感じないのだから、結局そこの差が喜びの元になっているのだ。その度に、また頑張ろうと思えてしまったりする。不安は波のようにやってくる。人生の中で味わう心の痛みが波のように繰り返すのと同じように。その波を、ただの波なのだと思ってやり過ごし、小さな奇跡で励まされるときもう一度底力が蘇ってくる。どこを見るかによって、どの部分にフォーカスするかによって同じ現実が全く違って感じてきて、その感じ方がその人の現実になるのだから、と、頭ではわかっていても見える景色が灰色に見えるのをどうにもできない時もある。でも、突然霧が晴れる瞬間があって、その時にもう一度それを肝に銘じる。