2012年10月31日水曜日

熊本の小川でのお祭り

先日、今住んでいる所でお祭りというか儀式というかそういうものがあって、三つの出し物が行われた。中でも亀(がめ)と言われる、大きな首の伸びる亀を男たちが支えて人々の中に突っ込んで行くという場面がものすごく興奮する。それが向かってくると本当に怖い。でも最後に川の護岸をがめがよじ登るという行為を何度も繰り返す場面では、男の子たちが心底沸き立ってくる。興奮して幸福をもたらすというしっぽの毛をむしり取ろうとしがみついたり、怖くて逃げたり、後を追いかけたりして、その場所の空気感がもう、内発的な何かで満ちてくる。そしてどっぷりと夕日が地平線に至るころに終わると何とも言えない幸せな興奮した気持ちで家に帰る。どんな人のどんな行為もその祭りの中で受け止められるような包容力と力強い人々の絆を感じた。

2012年10月17日水曜日

戦後史の正体

戦後史の正体という本を読んでいる。今まで、もやもやと考えて来たことのいろいろな輪郭が見えてくる。霧が晴れてくる。と同時にうちのめされる。

「現実逃避」というベールの上の世界を、現実の世界として生きる人の営みに、居心地の悪さを感じていたのだろう、自分は。
でも「現実逃避」というのは、現実を受け入れるまでの待ち時間と捉えることもできる。そう捉える事によって少しだけ可能性が開けて見えるように感じる。

あまりに重い理不尽な現実が目の前にある時、どうしたってそこから目をそらさざるを得なくなる。向き合え、と言うのは簡単だが、目をそらして、それから時間をかけるという方法だってあるのかもしれない。