2015年5月22日金曜日

制作日誌16 本番の日を迎えました

さて、今日は本番です。朝から当日パンフを印刷したり買物したりとバタバタしつつも、この私的解剖実験シリーズをほとんど全部見てくれた人の顔が脳裏をよぎりつつ、昨日の体調不良の中作品がもう飛べる、飛べる準備が出来たよ、という感じ。生き物になりつつある。この感じに身を任せて行こう。立ち会って下さる方々と共に空間を生き物にしていく予感がしています。写真は寅雄さんのオペ勇姿。

2015年5月19日火曜日

制作日誌15 通しまでこぎつけ、寅雄さん疲弊 

膨大な作業を終えて、ゆっぴーが関わってる神楽を観に行きたかったのだけど、通しまでこぎつける作業が時間かかってしまい行けなかった。寅雄氏は疲弊してしまって笑顔がまったく消えてしまい、打ち上げで飲んでも、温泉に入っても、お灸とマッサージをしても回復しなくてそのまま出張に旅立ってしまった…。家族崩壊の危機か…。大丈夫です。いつもなんとか乗り越えてきましたっけ。2週間前くらいが結婚記念日だったのに毎年のように忘れてしまっていた。お風呂に行こうとふたりで自転車で走っているとき、一匹だけ蛍が浮遊していたのがなんとなく奇跡みたいに見えた。本番まであと少し。 写真は私の作業場と寅雄氏撮影の亀吉&亀五郎

2015年5月17日日曜日

制作日誌14 峠を越えさわやかな夜明け

膨大な膨大な作業を徹夜で終え、夜中の3時くらいからもうランナーズハイになっていって、終わったらなんかもう今までにないくらいさわやかな気分です。自転車旅行のゴールした時にほんと似てるから不思議。この感無量さは、おそろしく自分のプロセスを振り返ることにもなっているからだと思う。まだこれからも生きて行くんだけどな。区切りなのだろういろんな意味で。本番で何が見えてくるのかゾワゾワします。イギリスに行ってるきりんのことを全く忘れてしまっている。でも夢ではかならずきりんの夢を見てる。

2015年5月16日土曜日

制作日誌13 新アイデアでパニック のち 気を取り直し…

一昨日の夜に新しいアイデアがさらに膨らんで寝られず、昨日起きてから寅雄氏に説明するも、彼の混乱を誘発してしまい一時はパニック状態に。しかし、新しいアイデアを全体に適応させる前にまずはお試しをやってみようとトライしてみたらすごく良くなっていることが判明し、気を取り直してこれからやらなければならない膨大な作業に取りかかっている。自転車旅行で峠を二つ半越えた時みたいに、いままでの小さな山、坂は峠じゃなかったんだね、これから峠を二つ以上越えるんだね、というような心境ですが、良くなるのが分っているので燃えます。

2015年5月15日金曜日

制作日誌12 衣装却下 パソコン逝く 新アイデア浮上

昨日は冷泉荘にて通し稽古をした。その前にパソコンが志し半ばで倒れてしまい、いままでやってきた作業がパーに。 それでも、音などはUSBがあったのでCDデッキからなんとか出しながら通しをする。見に来てくれた二人からアドバイスもらって、衣装はまず却下に。家に帰って寅雄氏といろいろだべって行く中で、新しいアイデアが浮上し、計画が大幅に変更になる可能性が生じる。大変だが、今のやってみたことから新しい可能性にシフトできたのはとても良かった。ここからが難所です。それにしてもいつも公演のたびにパソコンが壊れる気がする。そしてまた買ってしまう。まるで奴隷のようで、なんとかそこから抜け出せないものか…。

2015年5月14日木曜日

制作日誌11 身振り ナンバから南蛮へ

私的解剖実験−6のファイルの中に福岡市博物館でもらった常設展示の解説「身振りー都会と田舎のしぐさー」という解説書があって読み返してまたいろいろ考えさせられた。かつての日本人の歩き方は「ナンバ」であったが、それは「南蛮」という言葉から来たと言われる。しかしこの書ではその説をあやしいとしている。日本舞踊では「ナンバ」と「南蛮」、二つの歩きの方を今に伝えていて、上体を捻らない足の運びをナンバ、人形の降矢滑稽実を出すときに用いられる手を振る動作を表現したものを南蛮といい、使い分けがあるようです。これから考えられることは、手を振らずに下半身の力だけで進む歩き方が、固有の身振りであったということでしょう。南蛮という言葉は手を振るのは西洋由来のものであることを伝えていることになりますね。現代の歩き方(つまり南蛮)の起源は明治18年から全国で実施された「兵式体操」にあるようです。西洋の身振りを取り入れた学校教育で訓練されたものです。 このように、私たち日常の身振りでさえ「正しい」とされる基準あらわれて、それまで自然にやっていたことを強制的に変更させられている。それを「虚像化」と呼んでいいのではないか?と思う。「正しい」基準は俯瞰した視点から私たちを見た結果で、その視点が私たち自身に貼付けられ続けていることが、虚像化を止められない原因のように思えます。 写真は記事とは関係なく、よもぎとどくだみ(野草茶にする)と草イチゴを庭で取ったものです。

2015年5月13日水曜日

制作日誌10 デトックス 花祭り 通し稽古

きのうは捩子さんがデトックスダウンしていたけれど、22時くらいになってデトックスおおむね完了したようで復活し、通し稽古に付き合ってくれた。自分でも覚えきれないほど段取りがあるけれど、通しにそなえてその中のひとつひとつを検証していく作業の中でいちいちその時起きていた事にトリップしてしまう。きのうは花祭りのリサーチに行ったときの映像を見返しながら、もう一度その土地の人々の深さ、自然さ、本当のやさしさに触れて涙が出た。通しでは捩子さんに的確なアドバイスをもらって更に推敲して行く。

2015年5月12日火曜日

制作日誌09 ねじさんが来てくれました

昨日は、今制作中の作品の後半部分を整理して、家でやってみた。その前に捩子ぴじん氏が釜山から船で福岡まで来て、我が家に寄ってくれたので見てもらった。「本当に名刺だね」と言ってくれた。夜にスギナとヨモギとマリーゴールドのお茶(自家製)を飲んで寝たら、ねじさんはデトックス状態で熱と汗の夜だったらしい。まだ休んでるけど起きたら初めての通し稽古に付き合ってもらう予定。それにしても段取りの番号が42もある。この作品は15年分の模索をつめこんであるだけに長い旅のような内容になってきている。

2015年5月9日土曜日

制作日誌08 今回は実験じゃないけど

いつもは実験そのものが立ち上がるまで、ピントが合うまでにかなり迷走して何をやっていたのか、何をやりたいのか分らなくなってしまう時間を長く過ごすけれど、今回の作品は目的がわりとはっきりしている上に、実験そのものを立ち上げる必要がないので、大枠を早く作ることができている。でもその中でも初めて取り組むことが一つあって、その制度をあげるための試行錯誤が始まっている。そしてやっぱり本番のその時に立ち上がることを大切にするという意味ではやっぱりその重要なところは変わらないのかもしれない。

2015年5月8日金曜日

制作日誌07 「監視」と「観察」

ゴールデンウィークのメインイベントとして家族で自転車旅行してきた。リュックに食料や寝袋や山用のコンロや着替えやらを詰めて山のような背中で自転車に乗って40キロあまりの距離を峠2つ半くらい越えた。体で自分の限界を知ったり、だめだと思っても大丈夫な体力って結構残ってたり、自分で持った分だけが使えるという感覚を知ったり、自分の力でやる分だけ自由だったり。拮抗する力を少しだけ強く出来たような感覚があって壮快。「達成感」とかそういうのじゃなくて、その時々の実感を生きている時間が豊かだなと感じる。自分ってこの程度っていうのは悪い意味じゃなく、人間の力は限られてることをちゃんと身を以て感じつつ、その中で最大限力を発揮できるかどうかは自分の内発性にかかってるように思う。帰って来てその日のうちにワークショップの最終回だったのでハードだったけど、受講してくれたみなさんがすごく内発的欲求高くて揺さぶられた。行く前より元気になったくらいだった。そこで重要なことが浮き彫りになった。内発的な状態は「観察」をすることによって健康的に保たれる。「観察」の視点なしに行うのは危険。また、現代では常に自分にも人に対しても「監視」の視線を投げてしまうけれど、「監視」の状態も「観察」することが可能。しかし「監視」の視点からは「観察」は見ることができない。だから常に「観察」の方に自分の主体を感じている事が重要なのかもしれない。

2015年5月3日日曜日

「15年の実験履歴」制作日誌06

ゴールデンウィークに突入して今日は雨の中寅雄氏ときりんは自転車で1時間くらい海の方まで行って神事を見ていたみたいですが、私は作品の構成を考えるために1日缶詰でした。貧血気味で頭がボーっとして午前中はテニスコーツの歌をずっと聞きいってしまった。深いところが浄化されるような感じがする。そういった役割の持てるアーティストもいる中、私はそれぞれの作品を見てくれていた人々に役割を持ってきたのだろうか?今そんなこと言っても始まらないのでとにかく今できる最大限の編集をしていこう。いくつかの角度から作品を照らしていくことで別の次元が開かれていくようなものになったらいい。しかし15年はやはり長い。一つ一つの作品の密度も濃いので、重量感が増してしまう。深刻にならず楽しめる方向に舵を切れるかどうか。

2015年5月2日土曜日

「15年の実験履歴」制作日誌05

日本の古い音楽は「作品」という概念を感じない事が多い。それは、歌やメロディーをだれが最初に歌い始めたか、だれがそのメロディーを奏で始めたか、そういったことが分らないし、それを主張するという発想がなくて、誰かがすぐ真似をしたり伝染してしまったりするのが普通だったからじゃないだろうか?「日本の文化」という線引きもおそらく西洋近代か以降の概念なんじゃないだろうか?「伝統」という線引きも、無意識に引き継いでいる間は出て来ない発想だと思う。いろいろなものは自然に発生したり流れたりその流れがうねったりしていたものなんだと思う。日本に伝わって来た仏教などにも、どこからかその流れを辿って行ったらいろいろなところに支流を見ることができるような、そして源泉をハッキリ見極める事ができないけれど、どこまでも追って行くことができるようなそういう何かを感じる。現代ではどうしても「作品」であったり「作家」であったりという線引きをもってしか芸術と接することができないような気がしてしまっているけれど、自分の深いところを打つ電撃というか啓示みたいなものは芸術という線引きが解けた瞬間の何かと邂逅したときにしか得ることができないような気がしてしまう。

2015年5月1日金曜日

「15年の実験履歴」 制作日誌04

こちらに来てから武道の稽古を少しずつ受けている。武道をやっていると思う事は、本当にいつ殺されてもおかしくない環境で身につけた体の使い方だなあということだ。そんなに切迫していたのだね武士。農民だっていつ戦に巻き込まれるか、あるいは不当に税を取り立てられて命捨てる覚悟で一揆やったり、なんていうかみんなギリギリで生きてたんだなあって思う。現代において、そのギリギリ感と言うか、立ち向かう相手ってなんなんだろう?と考えるとやっぱり「システム」みたいなものなんじゃないかなと思う。でもシステムは、立ち向かわないように人間を飼い馴らす役割も果たしているから、私たちはシステムからの圧迫みたいなものをどこに向けて押しのけていいのか分らないし、押しのけられないから互いに八つ当たりするしかなくなる。でそれはますますもって生きづらくなるだけだったりする。システムの向こう側にその圧迫するもとみたいなのがあるはずなんだけど見えないように出来ている。でも、日々の生活で良くよく観察するといろいろ見えて来るはずだと私は思う。だから、武士が殺されないように周りを見ながら自分の立ち振る舞いを洗練させて行ったように、私たちも観察して圧迫されない方法を編み出す事も可能なんだろう。人は狩猟時代から命をはって拮抗して生きていたんだから、そういった拮抗をもって自分を本当に生かすという意味ではいつの時代も変わらないという事なのかもしれないと思う。