2014年10月30日木曜日

反応のもとを辿る可能性について

日本が右傾化したりして、政治家や嫌韓デモや、そういったことが起こる一方、都市をはなれて畑をする等、オーガニックな生き方を選んだりする人が増えたりもしていて、そういった一見全く反対のことでも、それぞれ何かに対する反応なんじゃないかと思う。イスラム圏の国で女性に対してとても乱暴な方向での保守的な動きを強めたり、ひどく問題と思われるか偏った思想がもてはやされたり、そういったことも同じように何かに対する反応としてあって、その傾向を引き起こす原因を遡って行くとすごくネガティブに思える反応も、一見ポジティブに見える反応も、何か同じ物事に対する反応として引き起こされているような気がする。だから、何に反応しているのか、拗れた糸を辿ってほぐしながらもとを辿って行けば何かが見えて来る気がする。だから、右傾化の状態ひとつひとつを嘆くのではなく、それを引き起こす原因の方向に目線を向けて観察して行けば何かが見えてくる気がする。原因となる何かは、「視線」に関する物じゃないかと感じる。ひどく誇りを傷つける「視線」とその「視線」に起因する判断、行動がある。その「視線」を投げる人々、またその人々がその「視線」を元にしたシステムを構築しているように感じる。だからとりあえずシステムに対する怒りが私にはある。しかしそこを、怒りではない方法で向き合えないか?もっと元を辿っていけないのか?

2014年6月30日月曜日

官邸前抗議の夜

今日は官邸前抗議に行けないけれど、デモという意思表示について考えている。自分たちが感じている違和感を、具体的な対象に向き合って何かをアウトプットするというのは、人が元々持っている「拮抗する快」のひとつだと思う。その時に、その快を誰かに利用されてはいけない。そういう意味で冷静でいなければならないという矛盾もある。物事を動かしている政治の当事者たちはいろいろなことを想定しつつ、対応も先回りして考えているということも忘れてはならないだろう。それらを分かりつつも、「拮抗する快」のひとつとして行動をする。狩猟採集の時代から、人は某かの拮抗関係の中で生きざるを得ないのだとして、拮抗する対象がどのように変わって来たのかを知ることが必要なのかもしれない。

2014年5月19日月曜日

はなうたを歌うときは

いつも、ミニマル音楽のように一定のリズムやメロディーを延々繰り返すことが多い。無意識にやてしまっているのだ。そのときに、それを録音するところから何か初めて見ようかと思う。

2014年5月15日木曜日

歌おうと思ったら

歌うという状態の自分で日々を過ごさないと、歌なんか出て来ないということに気付きつつある。踊りもそのとおり。息子はいつでも歌えるし踊れる、生まれてはそのままほとんどは消えてしまうものばかりだけど。その中で残った物が歌として誰かが歌う可能性あるということか?

2014年3月17日月曜日

拮抗に快がある 2

60年代に、さまざまなテント芝居や舞踏などのムーブメントが起きた。これらは、とても内発的なムーブメントだったのだと思う。よく聞く話では、この時代さまざまな飲み屋で、さんざん大声で議論(恐らくあまり論理的ではない議論?)をしていたらしい。そういう関わり方をしながら、何かを共有するコミュニティーであろうとした人々だったのかもしれな。拮抗する力は内発的なものだと思う。赤ん坊が拮抗しながら生まれてくるように。赤ん坊が生まれるときに、赤ん坊自身が促される感覚を内発的なもののモデルとして考えることができる。私たちの年代以降、徐々に、そういった関わり方を避けるようになったような気がする。なぜだろう?さらに一世代下の人たちは、一層、「熱くなる」ようなことも減り、さらに一世代過ぎると引きこもり、オタクと言われる現象の増加に繋がっていく。なぜだろう?何を良しとするかの美的感覚が変化したとも言えるけれど、拮抗することを避けようとするのは、そこに快が見出せないからか?それとも、環境の変化を含め、内発性をかなり強く抑えられるような状況が、生まれてから育って行く過程で平等に強いられているからだろうか?たとえば、出産も、病院というシステムの中で行われるようになった。出産で、拮抗に向き合うということは、生きるか死ぬかということだ。死をさけ、安全を得ようと思ったら、拮抗を避ける方向に行かざるを得ない。保育園、学校も、大体の所ではトラブルを避けるようにどんどんなってきて、それは拮抗に向き合わない方向に、人間関係に不穏なことが起きないよう、安全にするためかもしれない。また、逆に、そのことで、いつも近くにいる一人ひとりが何を考えているか分からない、という状況にもなる。それは、本当は不安を増大させているとも言える。向き合うことを避ける、トラブルを避ける、混乱を避ける、避けることによって、システムに依存する方向、統一管理される方向に人は体を委ねるようになって来ているのかもしれない。そして、システムの向こう側にはわけのわからない闇が潜んでいる。

拮抗に快がある

赤ん坊が生まれる時、胎盤は赤ん坊を断続的に締め付けて、そこから脱出しようとする。そのとき、おそらく相当強い抵抗に対して抗う感覚を伴うはずだ。それも拮抗と呼んでいいのではないか?それは、もちろん母子ともに苦しい時ではあるのだが、同時にすごく「キモチイイ」時間でもあるはずだ。そうでなければ生まれてこれないはずだ。庭や畑を観察していると、草は全力で生えようとするし、虫は全力で葉を食べ、あるいは虫を食べ、木もうかうかしていると幹を虫に蝕まれてしまうのだ。そうならないよう、それぞれの生命の主体と言えるような何かが抗う。お互いに抗いあう状態を拮抗と呼んでいいと思う。そこにはおそらくなんらかの快があるのだろうと思う。人と自然にしてもそうやって長い間抗いあいながらなんとかやってきた。

それが、ある段階のあるシステム転換によって、拮抗が起きないような状態にしていく力が働き始めたのだと思う。それが「管理」であり「統一」であるのかもしれない。そういう方向に力が動くことは、おそらく自然のシステムと大きく違う何かなのだろう。そして、バランスを著しく崩す方向に何かが動く。

人と人が関わるときに、拮抗しあいながら共有するコミュニケーションを長いこと続けてきた中で、そういった拮抗を起こさないようにする、人と人が直接向き合わない方向と言ってもいい、そういう方向に関わり方が移行して行く。ものごとを共有できない方向であるのだから、断絶していったり、不信を基本とした関係になっていったとしても不思議ではない。隣人同士であっても、元夫婦であっても、何かがあったら、法関係の人や警察に報告する。これを線引きのシステムといってもいいだろうか?

2014年2月25日火曜日

共有と統一の違い

物事を人と共有する感覚というのは、統一される、あるいは分配されるのとは大きく違う。同じ教科書を使うことで何かを共有するかというとそういうことでもないだろうと思う。ただ、みなが同じテレビを見ている、あるいは同じコマーシャルを見ていることで、同じ情報を共有することが、何かを共有している感覚であるように思うこともあるだろう。でも、何かを共有する感覚を本当に得るために必要なことは経験を共有するということだと思う。そこに統制する人がいる場合と、いない場合でもずいぶんその感覚は変わってくる気がする。例えば、指導者に指揮されて何かをやる場合と、リーダー的な存在はいるものの、対等な関係のメンバーで試行錯誤しながら何かをやるのとでは大きく違う。

民俗芸能を見ていると、その芸能を行うことで共有感覚を強く醸造していると感じることが多い。ただ、「みんなで楽しく」とか「みんな一緒」というような安いキャッチコピーが全く当てはまらないような、理不尽さや、意味不明さ、過酷さなどが付きまとうのだ。しかし、それゆえにその共有感覚の濃厚さも半端ない。それが一体なんなのか?それに近いことをやろうとしても、そういった濃さには到底近づけない。その秘密についてずっと考え続けていて、なんとなく見えて来たこと、それは強度の拮抗を起こして場を練っていこうとする行為なのではないか?と思えてきた。そして、その拮抗は、人々の共有される強度のイメージとともに呪術性をも持ちうるし、宇宙的な規模で影響を与えうるような何かとしてさえ感じられてくる。

2014年2月17日月曜日

庶民感覚での芸能(12月に投稿しそびれていた記事を今日公開)

バリのウブドにて、バリ舞踊のレッスンを受けた。先生は関西方面で教えていた方なので日本語(関西弁)が上手。そして、日本人から見たバリ舞踊の難しいポイントについてとても整理して教えていただけた。バリの芸能には3つに分けて考えるのが常で、例えば
1)王宮でやられるもの。これはピカピカした衣装で踊る。
2)寺院でやられるもの。ケチャなど、簡素な衣装や照明でやられる。
3)庶民の間でやられるもの。竹など、住まいの近くで切って作れる楽器を使って演奏し、誰かが叩いていたら、別の誰かがやって来てそれに合わせて自然に音楽が紡がれて行くようなもの。

この3)というのがとっても魅力的だなあ〜と思っていた。すると、きりんがウブドの楽器屋さんで10000ルピア(100円くらい)で買った竹笛を吹いて遊びはじめ、ホテルの敷地の周りのどこか、姿の見えない誰かからの口笛の音だけが、それに応答して始める。それを聞いてきりんも応える、そんなやりとりをしばらく続けていて、でもお互い姿は見えない。そんな時間を過ごして、3)の意味が身にしみるような思いがした。

2014年2月8日土曜日

歌の切り口

やっとのことで歌の入り口を探す生々しい方法を見つけ出した。ただ、探す方法を見つけ出しただけなので実際に探し当てることができるのか?リスクの森の中をわっさわっさとかき分けて一日一日進むしかない。本番までのサバイバルを楽しみたい。最後まで。

2014年1月30日木曜日

人前で歌う

昨日、自分から歌が生まれるまでのプロセスを探る作品を人に見せた。人前で歌うという基本的な恥ずかしい状況というのを久しぶりに体感した。歌が生まれるというのと、人前で歌うということは実は少しだけズレているのだろうか?ダンスの場合は人がいた方がやりやすいのに、歌は完全に逆転してしまった。自分の中で、歌に向かって開かれるような感覚を得たけれど、それは見ている人にとって実は不快なことにすぎないのではないか?という不安も生まれたりした。試行錯誤している実感だけが確かで、それを続けるしかないという覚悟である。

2014年1月28日火曜日

渋谷

久しぶりに渋谷の交差点に行った。昔そこらへんをうろうろしていた時も、さまざまな新興宗教、政治家のアピール、署名運動、大画面での露骨な宣伝、行き交う多様な人々がいたのだが、その感じを特別に思ったことは無かった。久しぶりにそこに行ってみると、選挙カーやそれを撮影するテレビ局の人、今問題になっているさまざまな署名活動、撮影しようとカメラを持ってうろうろしている若いアーティスト、楽器を持っているグループ、テレビ番組の大きな宣伝カー、大画面のコマーシャル、そういったものであふれかえっていて、でも今起きていること、起きつつあることがここに反映されているような、人々の反応が肌身で感じられるような臨場感みたいなものをすごく感じた。ひとつの演劇を見ているような、あるいはSF映画の中に入っているような、そうやって観察している時の自分はなぜか透明人間になったような、過去からやって来た時間の旅行者のようなそんな感じもしてくる。すごく不思議な時間だった。

2014年1月22日水曜日

間にある歌詞

山中カメラさんと一緒に、ふたりだけで「間にあるものとしてそこに置く」の最初の言葉のところの実験をやって、実験から出して来た言葉に少しだけ補足の言葉をつけたら、すぐに歌になった。

砂場の向こうに
オーストラリア
雨つぶの色は、黒
グレイは見ていた
ポリネシア
海の彼方から

ものすごく不気味な世界だ。
これに、ど演歌調、アイドル風などいろいろなメロディーで歌ってみると、どんなふうにもできて、自由に曲を作れてしまう。それは、日々のテレビやラジオやちまたから流れる音楽やらが、有無を言わさず自分の中に蓄積されているのだろうなあ。芸能が立ち上がるのも、こういう感覚かもしれない。その時代の中に流れている物を体に取り込んで自由に取り出せるというような。



歌になるまで

いま、人の中から、あるいは人々の中からどうやって歌が立ち上がってくるのだろう?ってことについてずっと考え続けている。近々やる『野良』というイベントでも労働歌やいろいろなアプローチでそれに向き合う予定だけれど、特にソロの新作に相当する取り組みとして歌が自分の中からどんなふうに立ち上がるか?の実験をやる。ここ3日くらいずっとその実験を続けている。1日目はとにかく何か楽器で音をならしながら声を出すということをやって、2日目は目についた物を声に出してしゃべることを歌にしてみたり、カードに片っ端から目に入ったものを書き出して、そのカードをトランプみたいに切って、引いていって片っ端から歌にしたりした。今日は3日目で、どちらを試みてもちっとも歌が立ち上がらないので、机をペンで叩いてリズムを作ってみた。ペンから手に変えて、叩いた音から次の音までを、円を描くようにイメージしながら叩いて、声を出そうとしたらすごく小さな声しかでない。でもすぐに勝手に言葉が出て来て、それがまるで子守唄みたいになる。なんでかというと、このリズムが、子供の背中を叩く感じなんだった、そうだそうだ、なんて思いながら、なんか小さな声の子守唄を歌うような感じが、様々に自分の記憶を引き出してしまうから感極まったりした。

2014年1月13日月曜日

天然脱構築

さっき、息子に促されて民俗芸能ごっこみたいなことをやった。棒の先に手鏡をくくりつけて掲げ、反対の手には木槌を持ち、頭に黄色いヘルメットのオモチャをかぶり、片足で跳んでは反対の足を曲げ、えせ民俗芸能の音楽を口三味線で奏でながら飛び回る。一緒に即興で芸能を作って行く。どこで、こういうエッセンスが出てくるんだろうなあ。今まで一緒に連れ歩いた各地の古い芸能、ビデオ、その時々では半分以上観ていないように見えるけどなんか、そういったものを全身で吸収し、体の中で再編成されて出てくるのがすごい。そういう形で得たものが彼の中で未来の何かに繋がっていくとしたらそれは凄いおもしろい。でも、これからの反抗期でそういうものにすべて背を向けて都市的な価値観にシフトしてしまうかもしれない。自分の興味に付き合わせつつも、反抗期で鬱屈しないためにかなり気を使っている。どんなことする人になるのか知らないけど、何らかの形で、私の試行錯誤の要素を繋いで行ってもらいたいって、どこかで思っている所があるのかなあ…。

2014年1月11日土曜日

マイノリティーの嗅覚

子どもを持って、古いコミュニティーのあるところに暮らしていると、ある一定の法則にしたがってマジョリティーの営みに追随しなければならないような、そういう営みの日々の憂さに波長を合わせなければならないような窮屈さを感じるときもある。けれども、一度、大きくたがを外して生きてみると様々なマイノリティーの人の営みに触れる瞬間も少しずつ増えて行く。そういうところに行き当たることが多くなって、なにか鼻が利くようにもなってくる。そうすると、そこには楽に呼吸ができるような喜びがある。新先前よりも、そういう喜びの方に大きく舵を切ることが迷いなくできるようになってきた。

2014年1月8日水曜日

聞こえる音が変化する

部屋に楽器を持ってきてみた。
チラシを作るにあたって、その内容を今掴もうとしている企画の深部が浮かび上がってくるようにしたいと思うと、まず自分の時間が必要で、自分の時間といっても、自分の時間になるような空気というのが必要で、ただ、メールのチェックしたり実務や家事をやってるだけだと自分の時間にならないのだ。それで、その濃密な時間に変化させるきっかけとして楽器を持ってきた。一人きりで、コーヒーとストーブと楽器(ウクレレとレインスティック)があるというだけで、部屋の空気が変わってくる感じがする。外は雨が降っていて、そういった音の意味が違って聞こえてくる。

2014年1月7日火曜日

カラダの中の火

自分にとって、深いところに火をつけられるような文章や、舞台というのがある。そういうときは、体の深いところが急に熱くなって、自分がそれに動かされて行くような予感が自分を突き上げたりする。そういう経験が、だれかが作ったものを観たときに起きる、一番価値のあることなんじゃないかな?と思う。なんていうか、恋に落ちる感じとかにも似てるのかな?似てるので、そういう舞台がらみでいろいろな人間関係が複雑に絡んでいってしまうこともあるのだろう。そんなとき実際に、行動を起こすのと火を灯しているだけなのでは違うし、行動を起こしてしまうとそれで火は燃え尽きてしまうようにも思う。灯を灯して、新しい何かにいつでも燃え広がることができる持続可能な種火のように、大事にしていた方が、自分には向いている。私のキャラでは「恋」とかいう言葉が出ること自体、意外性が強すぎるという趣旨のことも言われたばかりだけれど…。でも、逆に、どうしてもげんなりしてしまってエネルギーが鎮火してしまうように感じることもある。そうすると老け込んだような気分になる。自分の中に種火が灯った感覚をいつでも思い出せるようにしていたい。今は歌いたいという気もちが、恋に似た種火として私の奥にはある。