2014年10月30日木曜日

反応のもとを辿る可能性について

日本が右傾化したりして、政治家や嫌韓デモや、そういったことが起こる一方、都市をはなれて畑をする等、オーガニックな生き方を選んだりする人が増えたりもしていて、そういった一見全く反対のことでも、それぞれ何かに対する反応なんじゃないかと思う。イスラム圏の国で女性に対してとても乱暴な方向での保守的な動きを強めたり、ひどく問題と思われるか偏った思想がもてはやされたり、そういったことも同じように何かに対する反応としてあって、その傾向を引き起こす原因を遡って行くとすごくネガティブに思える反応も、一見ポジティブに見える反応も、何か同じ物事に対する反応として引き起こされているような気がする。だから、何に反応しているのか、拗れた糸を辿ってほぐしながらもとを辿って行けば何かが見えて来る気がする。だから、右傾化の状態ひとつひとつを嘆くのではなく、それを引き起こす原因の方向に目線を向けて観察して行けば何かが見えてくる気がする。原因となる何かは、「視線」に関する物じゃないかと感じる。ひどく誇りを傷つける「視線」とその「視線」に起因する判断、行動がある。その「視線」を投げる人々、またその人々がその「視線」を元にしたシステムを構築しているように感じる。だからとりあえずシステムに対する怒りが私にはある。しかしそこを、怒りではない方法で向き合えないか?もっと元を辿っていけないのか?

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