2011年3月29日火曜日

ひとまず止めよう

> 本日締め切り。
> 山口県上関町の原発建設計画
> 中止を求める署名サイト。
>
http://bit.ly/hrZzuP

不穏の手応え

大地震の当日、私は息子の保育園にいた。だから、息子とともに自宅に帰って来た。実験ユニットの打ち合わせで自宅にいた、KさんTさんNさんと再会。そのまま停電になった。停電は朝まで続いた。

このことが私にとってかなり大きかったかもしれない。震災そのものが私たちと強く結びついている感覚が深くなっていった。

停電なのでテレビも見れないし、情報が入って来ない。時間の経過に従ってどんどん部屋は真っ暗になる。みんなも電車が止まって帰れないからみんなでろうそくの明かりの中で闇鍋状態の鍋を食べた。みんな、急に黙り込んだり、やたらに喋ったり、なんとなく普通じゃない気分になっていった。

私は、その夜生まれて初めてとても大きな「不穏な空気」というものを感じた。状況は分からないはずなのに、原発についてのとても悪い予感があった。身体的に腰の背骨のあたりが寒い。胸のあたりが極端に凹む。取り返しのつかない大変なことが起きている、という不穏な空気。

そのあとの情報によって感情が様々に揺れ動かされたけれど、あのときの不穏さが妙にクッキリと何かの確信のように手の中にあって、結局は情報以上に強く私自身に語りかける。何かの判断を迫られているのだろうか?

2011年3月22日火曜日

世界にとっての変革期として

今回の大地震における、原発の恐怖を受けて、私たちは本当に様々なものごとについて自力で考えたり関わったりする事を怠っていた、と痛感しています。情報や経済やエネルギー、引いては芸能、芸術に関して、ある依存の前提を形成してきた権力のシステムを疑うチャンスだし、自治的な方法を模索する、つまり別の可能性を模索するモチベーションを取り戻すチャンスだと思う。

どこか、ひとつの前提に依拠ぜず、様々な情報を、様々な角度から見て感じて議論できるような状況をつくることが大切だと思った。


原発で働いていた方の記事
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

原子力資料情報室
http://www.ustream.tv/recorded/13472627
アーティストが(という定義も微妙だが)できることは、とにかく深く感じて反応できるということだ。作品という形でなくてもいい。メッセージを発信するのではなく、内省的な反応をアウトプットすることがより重要だと思う。