2010年9月28日火曜日

シアタークブル


ディンドンの住まいでもあり、活動場所でもあるシアタークブル
なんという濃厚な場所だろう。リアリティーのまっただ中にある、創造的なエアポケットのような開けた場所。
もう、言葉にならない。ここからは何かが生まれるだろう。そう思える場所。

2010年9月27日月曜日

ジェコそしてディンドン


今日は、午後、ジェコ達に、私の手法のひとつ、体の一部分に意識を集中してみたり、その部分を移動させてみたり、別のイメージを同時に持ってみてもらったりした。そのあと、ジェコ達に私の体に対しても同じように命令してもらって私が動いたりした。その動きをジェコ達は物凄く真剣に問いを持って見てくれて、そのことによって、ジェコは、このプログラムの背景にある大きなテーマみたいなものを感じ取ってくれたみたいだった。日本にも、助成金をとって来たいと、そして藤野に滞在してじっくり一緒に作業がしたいと言ってくれた。もしそうなったら本当にインタラクティブなリサーチが始まることになる。凄くどきどきする。

そのあとシアタークブルのディンドンに、公演を見る前にあって話しをした。そしてそのあと芝居を見た。ディンドンはやっぱりすんごい人だった。というか、日本であった時、一昨年ジャカルタで再会した時の印象では、すごく優しい普通のおじちゃんという感じだったのが、もう、すごくエネルギーが縦に充満しているような、神聖な何かに触れているような存在感で、かっこ良かった。ビックリした。彼の地元で、地元の普通の人を集めて芝居をやり始めて、それが今の劇団なのだそうだ。毎日、公演がなくても稽古はやっていて、稽古自体が物凄く好きで、様々な実験的な試みをやっているという。私が昔受けたワークショップでも、無意識の領域を使うと言う方法をやっていた。それが私の凄くあっていた。

意識の領域と無意識の領域を行ったり来たりする、それが今回のテーマだそうで、ただ、芝居を見た時にはそういう要素が身体感覚的というよりは演技として行われていて、少しだけがっかりしたのだが、それでも芝居の普通に見えるような場面でもすごくドキドキしたりゾワゾワしたりした。芝居の作りはテアトルコンプリシテとか野田秀樹とかに近いような展開の仕方で、見ている人の気持ちを興に持って行くのがすごくうまい。うますぎるくらい。うますぎて普通に近くなっているというところが微妙だと感じた。でも、たぶん、その普通をつくっている潜在的な要素、普段の稽古でやっている実験的な試みを体が通過していることによる強さがすごくあって、それが私をドキドキ、ゾワゾワさせていたのではないかと思う。明日話しをじっくり聞いてみる。

2010年9月26日日曜日

3日目


今日は、午前中に博物館で様々な伝統的な建築や芸能などの展示を見ました。
午後はジェコの稽古場を見学して、ジェコの動物ポップという手法を体験させてもらいました。
即興で私も試したりして、なかなかコアな時間を過ごせました。
動物のスピリットというのは、普段から自分の中に住んでいて、形をやるときに自然とそのチャンネルになるようです。
ジェコは、カンガルー、鳥、猿、などの動物の形を瞬時に作ってしっかりと止まる。
ヒップホップは動きの途中で止まるとき、何かバウンドのような動きをするが、パプアの動きは、バウンドせずに突然止まる動きで、こちらの方が難しいのだそうだ。
私は、即興でこの「瞬時に動物になって止まる」という動きの連続を試してみたが、なんだか自分でも全く分からなかった。ジェコは私の体を途中で止めて、これはかまきりだ、これは猿だ、などなど読み解いてくれた。
明日は、ジェコに私の手法を少し試してもらう予定です。

2010年9月24日金曜日

ジェコと会う


久しぶりにジェコと対面した。
パプアやインドネシアに関する様々な話しをしてくれた。
ノートに、インドネシアの地図をフリーハンドで描いてくれた。その器用さに驚愕してしまった。

「後ろにあるものが前にある」
という謎かけのようなものが、かれの作品づくりのコンセプトだと聞いた。
それはパプアというバックグラウンドと深く関係しているようだ。
ジェコと話しをしたTIMという場所は、ある時期に映画館、稽古場、プラネタリウム、事務所、屋外の食べ物屋さんなどなどたくさんの施設を盛り込んだ公園としてつくられた。誰でもプラッとその中に入ってお茶を飲んだり、古い友人と偶然会って話し込んだりしている。長い時間、話し込んだりぼーっとしたり稽古をしたりする。その施設のある建物の中に階段の吹き抜けスペースを利用して一つの木彫りトーテンポールのようなものが飾ってあって、ジェコにそれを見せてもらった。それはパプアのある民族のものだという。一階から三階までの間に高くそびえるそれは、人の形が縦に連ねて掘られている。けれども、そのトーテンポールの一番上が根っこで一番下が木の頭であるという。それも、ジェコの「後ろにあるものが前にある」ということの一つの例だと言う。
明日、もしチャンスがあったら実際に動きをシェアしながら聞いてみたい。

ともあれ、体力が消耗してしまっていて、ちょっと早めに休むことにする。

インドネシアに到着


ジャカルタに到着しました。
またしても、飛行機で耳にトラブルが。
以前、国内便で左耳の鼓膜が破れるというトラブルがあったのですが、
同じ側の耳が、飛行機に乗ってる間ずっと変で、そのあと少しずつ痛みが増え、今、真夜中ですが、左耳がうずうずと動き出したかと思ったら膿みがたらーりたらーり、血に混じって垂れてきました。
やれやれ。どうなることやら。

2010年9月22日水曜日

芸能や人々の流れと多層性

アーティストがある作品の手法を見出す時の潜在的な力を
リサーチによって高めることができると思った。物事の記号的な認識を解体し、自分のウチにある欲求に方法を掴ませ、可能性の幅を広げることができる。なので「Asia Interactive Research」ということを始動しようと思っている。
日本でも呼びかけて少しずつ始めている。手始めに、相模原市の鳥屋の獅子舞を習った。

「日本の伝統芸能や民俗芸能のリサーチをしている。
その延長線上で日本以外の国、主にアジアの様々な地域にリサーチに行く。」
こう表現すると切り口としてはとっても大雑把だ。

例えば「ファンタジーについて」
とか
「無意識の領域について」
とか、そういった切り口で進んだ方がクリアーなことかもしれないとは思いつつ、自分がなぜ興味を持っていて、何を手探りしているのか自問自答する。

「日本」という領域(あるいは国家というの)は、政治的な事情で生じた境界の内側ではあるけれど、実際に認識している像はひとつの幻想だ。集団的に洗脳されている。または、依存している。そして逸脱できない。だけど、様々な言葉、民族、土地に根ざした文化はどれも流動的で多層的だし、それは人工的に引かれた国境の内側にまとめて理解できるような物でもない。だから、記号的な認識を解体し、その「流れ」や「層」を感じたいのかもしれないと思う。たぶん、私自身に繋がる何かとして。

ある芸能が生まれたり展開したりするときに起きている事
それは、その時代に起きている何かに対する身体的な反応だったり抗い(人に好きなように操られないでいたい。何かに従属したくない、という感覚)だったりする。
そして、人々の後ろ盾となるような神聖な何かと接触する。それらは共同体的な自治的領域(反権力的な)で起きる。
その神聖な何かというのが、土地によって多様で、多層的で、異質でもあり共有できる要素もある。


明日からインドネシアのジャカルタで、ディンドン(シアタークプル主催)とジェコシオンポ(ダンサー)に会って話しをしてきます。
このブログで少しずつ公開します。