2020年12月26日土曜日

現代の呪いの考察-1  2020年12月26日

 現代における「呪い」というのは「暗示」と言えるかもしれない。暗示をかけて、人から視角を奪うことはとても簡単なのだ。時々サスペンスドラマでそういうのがある。日常的に人が人に対して行っていることかもしれないし、自分で自分に暗示をかけてしまうこともよくある。また、たくさんの人に同時に同じ暗示をかけることは、何がしかの「権威」や「公正な機関」を使って行うことも可能だ。政府の発表、医学会、国際機関、学校、NHKなどなど。でも、今までの経験上、必ずしも本当の情報だけが流されているわけではない。本当に「公正な」機関というのは存在しないからだ。

公の情報を信じるか、様々な俗説を信じるかの二者択一ではなく、私たちのまだ知らない何がしかの真実がある可能性について探し続けるという選択肢もあると思う。

いろいろな感じ方をする人がいて、そこからいろいろな推論がある。それらは相反したり、部分的に重なったり、部分的に妄想が激しかったりすることもあるが、全てを机の上に並べたままにしてみる、ということもできる。留保する力というのはとても大切だ。そうすれば、お互いに攻撃し合う必要もなくなる。

また、さまざまなことに依存することで成り立った生活があり、おかしいと思ってもそれをするしかない、悪い方に加担するしかない、言うことを聞くしかない、そういうのをなんとかできないだろうか?