2023年4月14日金曜日

2021年4月14日(金) 複雑な好奇心 「へ〜そうなんだ〜」

 ずっとやりたいと思っていたこと、思い描いていたことが自然な成り行きでやれるようになってきた。「時期が来た」という感じで。ご縁があって去年から畑をやり、今年は初めての狩猟と田んぼ。そのために必要なことは瞬時に体が動いて、気が付いたらオートマ限定解除の試験受けたり軽トラを購入したりしていた。また、農作業や狩猟のための体づくりと太極拳の稽古が少しずつ繋がってきている。ただ、自分は少しずつ老いに向かい、体の使い方を工夫しなくてはならない。無駄な力を使わない方法をこれからは養っていく必要がある。不思議なことに、昔は体がだるかったり、何がしたいのかよくわからなくなったりすることが多かったように思うけれど、ここ数年そういう時間がかなり減ったように思う。でも、気候の関係か何かでたまにそういう日もある。自分といえども思い通りにはならない。それは人間もやっぱり自然の一部だからなのだろうと思う。

自然農や大地の再生を経験しているうちに、自然の植物、虫、動物はそれぞれ内発性に突き動かされて反応しあってバランスをとっていると強く実感できるようになってきた。小さな内発性の発露に遭遇すると自分の内側に「感動」といってもいい心持ちが生じる。そういえば子供の成長にも似たようなところがあって、小さい頃ほどそのことにハッとする。それどころか自分の内にも自分では計りかねる何か、自然の内発性があるとつくづく実感することも多くなった。たとえ何かの計画を立てても、自分の内発性は違った方向に動こうとしてしまったりする。だからやっぱり観察することしかできない。観察しながら「へ〜、そうなんだ〜」と他人事みたいに感心する。

自然を観察しながら畑の作業をしていると、動的瞑想という感じで何かしら自分に起きたことを反芻したりしながら徐々に無心になっていく。自分がした作業の結果というよりは、自分が意図しないことが畑や狩猟で起きることへの驚きと感動の方が大きくて、そこでも「へ〜そうなんだ〜!」となる。「自然」をじねんと読んで、おのずからなる、という意味になるけれど、それが本当に内発性の根本なんだなと思う。それに比べると人間はなんとも複雑だなあ。そこから離れようとする力が大きく働いているような気がする。なぜそうなったのだろうか?そういった問いを自分の中で転がしていくのも楽しい。自分の好奇心もなんだか複雑…。