2015年7月3日金曜日

神道?仏教?そんなんじゃなくお宮!

今日、現在住んでる地区のお宮で行われる茅の輪くぐりの準備に行って来ました。
そこで、近所の雑草を摘んで準備されたものをプラスチックの輪にくくりつけて茅の輪をつくる作業をお手伝いしながら、その行事についてなんとなーく聞いてみました。
「茅の輪くぐりの意味はどんなことなんですか?」
「なんか〜、疫病とか払いよるとでしょ」
「この行事色々な所でありますね?」
「うん、お宮では大体みんなやりよるよね」
「お宮って神道の場所ですか?」
「いやいや、神道じゃなかよ。」
「じゃ、仏教とかですかね?」
「いやー、仏教じゃなかよ!」
「ですよね〜。何を祀ってあるんですか?」
「天照大神よ、伊勢神宮からね」
「伊勢神宮は神道じゃないんですか?」
「伊勢神宮の人は〜、神道って言いよるかもわからんね」
「は〜なるほど。でもお宮は神道じゃないんですね」
「うん、お宮は神道じゃなかよね、氏神様祀ってあるとよ」
「ご先祖様とかじゃ…」
「違う違う」
「かなり古いんですよね?ここのお宮」
「そうよ、ここらが出来たときからだから」

というような会話をしながら、そうだよな「神道」だの「仏教」だの線引きしたのはきっと明治以降なんだろうし、ずっと名もなき、他に二つとないその土地の神さまを分類する言葉なんてなかったのだし、その名もなき感じをずっと感じ取り続けたからだがここまで繋がれて来たんだな〜と感慨無量でした。

2015年7月1日水曜日

はじめての署名活動

生まれて初めて署名活動というものをやりました。
「玄海原発の再稼働に関して糸島市の同意見を求める署名」というものです。
しかも戸別訪問しました。もう、いろいろ嫌な記憶がたくさんやってきて始めるのに勇気が行った。例えば、店の宣伝をするバイトでやった戸別訪問とか、だいたい嫌がられるし、自分でも逆の立場だったらいやだと思うしとか。また、宗教の勧誘や販売で来る人の必要以上に流暢なしゃべりとか、一方的に質問を浴びせられたりとか、話を途切れないように続けざまにしゃべったり質問したりを織り交ぜたりとか、もう、本当に嫌な記憶がいっぱいなので、個別に訪問した時まずは怪しまれ、疎ましく思われるのは分っていながら行かねばならないわけで。
でも、無条件に話を聞いてくれるお年寄りというのはやっぱりいるのですね。そして、ご自身のお話を聞かせていただける。また、糸島の中でも原発20キロ圏内に近い場所の方々は、内心怖いと感じていたり、ない方がよいと感じていたり。でも、反対することへの精神的自主規制がとても大きく、誰かに見張られているように感じる空気感というものはやっぱり感じました。そんな中、大声で「原発はなくてよか!」と家族全員のお名前を書いて下さる方もいらっしゃる。もともと、原発に関していろいろな対話ができるような状況をつくろうというための署名でしたが、やっぱり「なくてよか」の人は話を聞いてくれるし、「それについて考えたり話したりはしない」というスタンスの人は話すキッカケというのがない、というのが現状だなと思いました。でも、小数派の人と邂逅する瞬間というのがやっぱりある。そういう瞬間のためにやる価値があると感じ、土地に関して私なりに何かやってる、繋がっていこうとしている、そういう実感がはじめて持てた一日でした。地域の行事とはまた少し違った、土地との愛情関係とでも言おうか…。もしかしたら土地というよりは「私たちという感覚」みたいなものを少し感じたということかもしれない。少しだけど、とても強い感慨があります。