2019年11月9日土曜日

ベルリン日々の問い 16「空気を読む」の正体について

特定の話題を持ち出しずらくなるということが、今の日本で何年か前から続いている。けれども、それに近いことはもっと小さな集団の中で割と簡単に発生する場合がある。つまり、ある小さな集団あるいは組織の中で、特定の話題、あるいは問題意識をそこに乗せてはいけないという暗黙のルールが生じている、それもいつの間にか生じていることがある。それは、お互いの中に発生する空気ということではなく、運営なり経営なりそこにいる一番偉い人のプライドなりに傷がつかないように配慮するという、どちらかといえば「顔色を伺う」という状況が生まれるのが原因なのではないだろうか。これは、人と人が互いに慮ることで上手くやるとかコミュニケーションを快適にするというのと、全く違うフェーズだと私は感じている。顔色を伺うという意味で空気が読めない場合に、別の理由で攻撃を受けたり疎外感を感じさせられるような関係に変化したりする。つまり、そういう不利益を被らない為に、自分も監視する側にまわる。そうすることで自分の立場が安泰になる。そういう悪循環なのかもしれないと思う。そういう状況を打破するとしたらいったい何が必要なのだろう?

ちなみにベルリンでは(あるいはドイツでは)どうなのかということについては、私はまだよくわからない。今はまだ団体にも組織にもほとんど無縁な馬の骨としてさすらっているので…。