2015年4月29日水曜日

「15年の実験履歴」 制作日誌03

きりんがいない間に作品をつくらなくちゃならないので、寮制の学校に送った月曜日の午後からようやく第二案を作り始めて3日目の午後に発表というハードスケジュールだった。今日はお馴染みになりつつある近所の権九郎稲荷神社で稽古見せをやった。糸島芸農で関わっている人たちがたくさん見に来てくれて、いろんな反応を示してもらえてとてもうれしかった。第二案はおそろしく重量感のある、かつ赤裸裸な内容になってしまったが、やっぱりすごく面白がってくれる人と、つらくなってしまう人に分かれてしまうのかもしれない。いろいろな人と、今まで関わって来なかったような人ともコミュニケーションをできるようにと考えたつもりであったけれど、自分にうそをつくことを避けて行くと必然的にある方向性というのが生まれて行くことになるので、やっぱりどうしようもない偏りというのはさけられないのかもしれない。大きく偏りながら、あるバランスを探して行く作業。そして自分がやってきたことにいちいち向き合う作業である。おそらく今後の作品制作が大きく変わって行く、そのターニングポイントなのだろう。隣で全力の支えをしてくれてる寅雄氏と権九郎稲荷神社にも感謝!

2015年4月28日火曜日

15年の実験履歴 制作日誌02

作品の水面から出ているところだけを合わせても、15年の量は多い。にもかかわらずその水面下をもう一度精査していると、あまりの情報量の多さに今日は溺れかかって水をしこたま飲んでしまったように体が重い。情報量が多すぎると私はそれを処理しきれないので、これをどうするのか?明日には一度、稽古見せをすることになっているのだから、ひとまず明日なんとかしよう。

2015年4月27日月曜日

「15年の実験履歴」制作日誌01

最初の作品アイデアを試したあと、それを一度壊すといういつもの儀式を終え、やっと第二案に向けて動き出す。 自分が書き溜めていた大量のメモは二度と見返さないと思っていた。それをひとつひとつ見ていると、そのとき自分がどのくらいの深さに潜って観察したり思考したりしていたのかが見えて来る。と同時に現在の私がそのときの私の中に潜って行くという作業でもある。潜水するのは疲れるけれど抜けられない。こういう作業が好きなのだろう。作品制作以外に周りで起きていた事、景色もうっすら見えて来る。メモ帳が役に立つときが来るとは。まだ役に立つとは限らないが。メモの途中で「インターネットで日記を公開する人が増えている。変化の兆しなのか?」といった文章もあって、この数年自分も日記的なものをこうやって公開してるよ、って思う。書いていた時点では想像すらしていないのだろうに。作品を作り始めた96年当時はインターネットも普及したてでまだやってない人の方が多かったのだろうし、この時代の変化ってすごいなと思った。これから潜ってるだけじゃだめで、遠くから眺めたりいろいろな視点を持って作品に取り組もうと思った。