2012年11月22日木曜日

作品作りメモ

日常あるいは世間体からの逸脱としての内発性 差別されている人々は世間から逸脱している。その中から生まれる「コスプレ」的な何か コスプレする事によって世間からの逸脱を計る かぶくことを始めた人々 引きこもりからの逸脱 内発→いつだつ?

 自然というものが、西洋近代化以降の日本では社会的評価に値する何かとしてのキーワードを獲得した事例 キーワードの例 環境/景観/温暖化/エコロジー/地球愛 などなど。

 名付けようも無いものとして具体的に人間の体に作用するほど自然から何かを感じてしまうことを「内発性」と読んでもいいような気がする。満月に子供が生まれやすいことなど。これらは社会的評価から逸脱している。

2012年10月31日水曜日

熊本の小川でのお祭り

先日、今住んでいる所でお祭りというか儀式というかそういうものがあって、三つの出し物が行われた。中でも亀(がめ)と言われる、大きな首の伸びる亀を男たちが支えて人々の中に突っ込んで行くという場面がものすごく興奮する。それが向かってくると本当に怖い。でも最後に川の護岸をがめがよじ登るという行為を何度も繰り返す場面では、男の子たちが心底沸き立ってくる。興奮して幸福をもたらすというしっぽの毛をむしり取ろうとしがみついたり、怖くて逃げたり、後を追いかけたりして、その場所の空気感がもう、内発的な何かで満ちてくる。そしてどっぷりと夕日が地平線に至るころに終わると何とも言えない幸せな興奮した気持ちで家に帰る。どんな人のどんな行為もその祭りの中で受け止められるような包容力と力強い人々の絆を感じた。

2012年10月17日水曜日

戦後史の正体

戦後史の正体という本を読んでいる。今まで、もやもやと考えて来たことのいろいろな輪郭が見えてくる。霧が晴れてくる。と同時にうちのめされる。

「現実逃避」というベールの上の世界を、現実の世界として生きる人の営みに、居心地の悪さを感じていたのだろう、自分は。
でも「現実逃避」というのは、現実を受け入れるまでの待ち時間と捉えることもできる。そう捉える事によって少しだけ可能性が開けて見えるように感じる。

あまりに重い理不尽な現実が目の前にある時、どうしたってそこから目をそらさざるを得なくなる。向き合え、と言うのは簡単だが、目をそらして、それから時間をかけるという方法だってあるのかもしれない。

2012年9月4日火曜日

近代美術館の実験 田仲さんの感想

2012年9月2日日曜日

芯から励まされた感想


kenkaizuさんからのツイートを抜粋させていただきました。

ありがとうございました。〜


手塚夏子さんの回に行ってきました。最近民俗芸能を気にしているという手塚さん、民俗芸能の孕んでいる<身体性・精神性・社会性>を大きな意味でとらえ直す試みだったと思います。ただその民俗芸能の<形>を派生させ伝えて来た、人々の暮らしそのものが現代的な、コンテンポラリーな社会の動きによって変わりつつある時に、その寄り添いやすい<形>を捨てて、寄る辺ない現状から何かを考え始めるというのは、もどかしくも意味のある実験だったと思います。そしてまた、美術館という場所とそこに集まる人々が、今起きているコンテンポラリーな現実に対していかに微力かということも、考えさせられました。そこから何が生まれるのか。

昨日の近代美術館 「14の夕べ」手塚夏子さんの実験の中で、子供を王さまにした架空の国を作ってみよう、というのがあった。観客の多くは国づくりに消極的で傍観しているのも「日本人的だなあ〜」と思いながら、そこには何か切実さが欠けているのだと感じたそれは、その「国づくり」に参加しなくても観客自身の生活、生命に直接関係ないからだが、各地に伝わるまつりや芸能も、それ自体何かの生産物を生み出すものではない。でもそこに地域の人々を「参加しなければ」と感じさせるモノは何なんだろう?と考えた。

実験のその後1


翌日、金曜日のデモで怒りのドラム隊を目撃した。デモ直前の国会議事堂前駅を降りるとすぐに太鼓の音が聞こえてきて、それは「なんみょうほうれんげいきょう」と唱えながら太鼓を叩く仏教の方達だった。これから何かが始まる。そんな感じだ。静かなイントロダクションのように人々がじわじわと集まってきた。警察も配備され、通行人用のコーンやバーが設置される。白い風船を持った人々の群れが多くなっていく。その中の誰かが風船に「原発ゼロ」と赤いマジックで書いたやつを一つだけバーに結びつけて去っていく。時々写真を撮る人たちが、その風船を見つけては写真を撮っていく。利発そうな美女がカメラを持っている取材の人にインタビューされている。「今回デモに参加しようと思った理由は何ですか?」

誰かが、ドラムを叩き始める。序曲のようにドラムが重なり合っていく。デモに参加する人々の顔、顔、顔。いろいろな立場の人が、内発性を刺激されて沸き立ってくる。旗が風になびく。おそろしくワクワクする。そうだ、人々はここではちゃんと反応している。切実さを共有している。そう感じた。井手さんの顔も紅潮してくる。ドラムの響きがはち切れそうになった時、デモの歩みが一歩ずつ前へと進んで行く。そして加速していく。ドラム隊の響きはシュプレヒコールとは全然違う。本当に内発的な動きを引き出す。それぞれの人が本当に内発的に何かをする行為として、それらが重なり合う行為として、それは希有な機会に違いない。限りなく芸能の発露に近い。

実験の感想2

実験を終えて、至らない部分は多々あったものの、すごくさわやかな気分です。
田仲さんも井手さんも、これ以上ないくらい切実な何かを抱えている二人で、おそらく怒りも、悲しみも、絶望も、切望もあった。そういった中で、Awayで公な場に向き合ってくれた。だから、そういう、もうどうしようもなくそのようでしかいられない居かたで実験を模索してくれた。実験としての推敲が至らなかった事実はあっても、今回はこのようにしかありえなかったのかもしれないという気もしています。これはこれで、何かを映し出し、何かを問い、また反応を生み出した。そこらじゅうに頭をぶつけながら歩き方を見つけるような、もどかしい方法で実験がメディアになるかの実験が進められて行くのだなあ。タフな作業です。そのような取り組みの私が抱える切実さを理解してくれている感想もあって、芯から励まされました。そう、「コンテンポラリーな現実」に向き合う難しさをどう克服していくのか、ですね。

とはいえ、様々な実験のアイデアが次々浮かびます。
一つは、実験を進めていくフォーマットをあらかじめ作ってしまうというもの。フォーマットにそって実験を展開せざるを得ない。たとえばお客さんの参加する仕方やタイミング、指示、時間配分、合い言葉?
マイクでしゃべるかわりに筆談で進める。紙に指示を書いてプロジェクションするとか?

近代美術館の実験終えて

国立近代美術館にて「ただの実験がメディアになるのか?の実験」を終えた。
実験を試行する二人に対して、私ができるだけ暴力的でない方法で向き合うように、実験を引き出すということに取り組んだ。二人が今いる状況は共にすごく切実だった。だから、その中に没入しているのだ。だからこそ彼らを選んだのだけれど、実験をしようとすると、自分の状況を対象化しなければならないし、疑わなくてはならない。そういう構造を自分の中にもつに至るにはあまりにも、問題が切実だった。また、切実な問題に時間や集中力を裂かれている分、実験に時間や集中力を裂くのも難しい状況だったのかもしれない。

ツイッターはほとんどやっていないけれど、どうやらいろいろな厳しい反応もあるようです。また、なんらかの刺激を持って帰ってくれた方もいたようです。それらの感想の全体的な印象は、「悪い意味でゆるい」「実験として貧困」ということと、「濃い」「今の現状そのものの観察ができた」などで、ゆるくて濃いのは民俗芸能のそれに近いような気もしました。

いずれにしても、私にとって、今まで以上に濃い経験であったことはまちがいなかったです。難しさも含めて経験を踏み越えて先に進むしかないですね。

2012年7月26日木曜日

稽古見せ in テトラ

稽古見せはやっぱりいいな。
テトラ入りして、始まった時、なんだかとても自分の中の何かがうずうずとして突き上げられそうになっていて、参加してくれている人たちを前に張りつめていった。すごくいい緊張が走って、面白いやりとり、対話が続いて行った。それゆえにいろいろ、新しい試みの入り口が見えて来た。こういう興奮すごく久しぶりだ。

桑野さん、小山さん、ありがとう。

2012年7月19日木曜日

「イシ」〜二つの世界に生きたインディアンの物語〜

「イシ」〜二つの世界に生きたインディアンの物語〜
という本を読んだ。これは、ゲド戦記を書いた人のお母さんが書いた。
ある民族が、白人に根こそぎにされて行く過程を当事者の視点から描いている。この視点から見た当時の白人の彼らに対する行為は、書かれている通り「気が違っている」。
日本に黒船が来て、有無を言わさず土足で踏み込んで行く様、無理な条約を取り付けて行く様にも重ねて見えてきてしまう。その延長線上で戦争に引き込み、計画的に原爆を落とす、「気が違っている」。すごすぎて、どう反応していいか分からない感じなのかもしれない。そういう人(国?)に監視されつつ生きるということを認識したら、普通に考えたらものすごく卑屈に生きることになるだろう。いや、卑屈に生きているのだろう私たちはきっと。卑屈に生きていることをごまかすための娯楽、サブカルチャーなのだろうか?自分たちを、または自分を、なんとか肯定したかったり、踏みつぶされた誇りを麻痺させて装いをするしかないというような。あるいは、人より秀でていることを圧倒的に証明する戦いに生きる(上昇志向的に)。人を罵倒し踏みつけることで誇りをかろうじて維持しようとしてしまう。怒りの下には踏みつぶされた「誇り」が眠っている。その中で窒息しそうになっている人は、空気を吸うために外に出ざるを得ないだろう。そのときに、自分を位置づける方法を自力で見つけて行くしかない。だれも傷つけること無く、自分の踏みつぶされた誇りをもう一度目覚めさせる方法を見つけて。

2012年7月17日火曜日

媒介する次元

人が「個人」という線引きによって自分を認識するということと、線引できない共有された意識の層というのと、またそれ以外にも様々な意識のありよう、あるいはありようの可能性というものがある。寅雄氏が見て来た盆踊りの、歌い手が自分の中から節に即興でうたをのせるその感じ、そういうのが本来日本の中で、あるいはアジアの様々な地域で「うた」と呼ばれるものだったろう。かごめかごめ、とうりゃんせ、そういった子供のうたも、わらべ歌も、百人一首も、七五調で歌われた都々逸も、「私の思い」というような線引きされた個人の思いなどではなく(たとえ恋のうたであっても)、何かしら共有された気分を言葉に浮かび上がらせる媒介者みたいな存在だったんじゃないだろうか?「dividual」について考えるきっかけになりそう。とはいえ、ずっと同じことを考えているような気もする。自分の中にそういう層があることを確認できるのだろうか?実験してみたい。どうやったら実験できるだろう?

2012年7月15日日曜日

プールと実年齢

昨日、豪雨の中プールに行った。友達の子供たちと息子と一緒に温水プールでじゃぶじゃぶとやった。プールに入ると、自分が子供だった頃の感覚に戻ってしまうようなめまいがあって、子供みたいにはしゃぎたくなるのだけど、あ、しまった私大人だったんだ、ってことを改めて思い出す。どうしようもなく、自分の身体の中にある感覚が「まだら」なんだと思う。子供のままの部分、学生のままの部分、二十代のままの部分、三十代のままの部分。そして、現時点の感覚というのが良くわからない。服を選ぶときに、自然にいいなと思う物が必ずしも今の自分の現時点に合っているとも限らない、そういうズレに遭遇して唖然としてしまう時もある。

2012年7月13日金曜日

七夕学習発表会

子供の学習発表会的なものを企画してやってみた。どうしてかというと、学校ではなく家で学習するというスタイルで我が家はしばらくやってみているけれど、やっぱり何かしらイベントが欲しくなる。そして、こうやって自分たちなりにちゃんとやってます、というのを誰かに目撃してほしくもなる。そうすることで、自分でも自分を認めることが出来る、というようなことはやっぱりあるのだなあと思ったりした。

はじめて三線で一曲弾いてみたり、逆立ちして歩くっていうのを目指してみたり、影絵を作ってみたり。本当に本人が行きたい方向を共に見ながら時には共感し、時にはけんかしながら、突き放しながら進めて行くのは、私にとっても貴重な体験で、こんなに濃厚に子供に関われるんだなあと思ったり。逆立ちして歩くところまでは行けなかった彼だけど、そうやって今はできないという時間もそのまんま見てもらって何も失うことが無いという経験は、案外一番大事なのかもしれないと思ったりもした。

つきあってくれた友人、おじいちゃん、おばあちゃんが、本当に素敵なオブザーバーで私たちは幸せでした。足りない物を自分で補うのも試行錯誤で、本当に大事な物は何かをいつも問い続けることになるんだなあと実感している。

夜の雨と読書

最近、熊本は本当にすごく雨が降る。夜になってふいに「来たな…」という感じでザーっとやってくる。雨だれの音が完璧なシンコペーションになって、そういった音の一つ一つも大事に聞いてみたくなるような、私にとってかなり大きな出会いになる本を今読んでいる。

「ゲド戦記」1 影との戦い

である。今までに自分が引き寄せられて来た方向の先にある一つの世界観であり、実は元々息づいていた世界観でもある。元々息づいていたものを何かの理由で葬り去ろうとしている何かが現在存在していて、葬り去ろうとする力にも長い歴史があるのだろう。

雨はやみ、静かな雨だれと遠い車のうなりしか聞こえない。急に静かになると、雨の音が恋しくなる。

2012年5月22日火曜日

おひさまの力

寅雄氏の実家である滋賀県で、金環日食を見た。晴れたり曇ったりする合間に太陽が少しずつかけていって、そしてリング状の光になった。そのリングが雲の上を滑るように流れて、本当は雲の方が流れているのだけれど、リングが流れているように見えて、ものすごく神秘的な気持ちになった。あたりは薄暗くひっそりと寒くなった。その状態によってカエルとか生物が反応しているように感じた。木漏れ日の形も金環になったり三日月型になったりした。そうやって、全ても物事が太陽に反応しているんだなあということを本当に深く実感した。これが宗教的な原初の感覚なのかもしれないなあと思う。それらに反応してしまうことを止めることはできないというような。

その前の日に、テレビでオーロラについての特集を見た。オーロラは太陽の電子が飛ばされて地球の磁場が取り巻いている隙をついて地球の空気ギリギリまでおりて来てしまう現象らしい。太陽の電子の量が多かったり少なかったりする。また、宇宙線というものも地球に向かっていつも降っていて、地球の磁場や太陽の地場がそれを遠のけているけれども、隙をついて降ってくる。そういう普段意識しない物事が私たちの何かを揺さぶってしまって、あらがいようも無く反応してしまっている。生かされたり殺されたり揺り動かされたりすることを、どうしようもない、だから祈ったり、受け止めたり、反応したものが芸能になったりいろいろするのだなあと思った。太陽とか月とかその巡りや細かい動きが厳かな姿として見えてくる。

2012年5月14日月曜日

くだり、のぼり

昨日くらいまで、なんとなく気持ちの奥が空っぽのむなしい気持ちになったりして、そうすると血の気が引くような感覚があって何かを書くという気力も生まれない。何かをするエネルギーそのものが全く動かなくなってしまう。まいってしまう。
でも、今日になると、普通になんでも気力が湧いてそれが当たり前だという感じになってしまう。何かをやる気力がもっと増えて行く予感みたいなものすらある。こういうのは、私自身がコントロールできない何かだなあと思う。自分なりにいろいろな調整はやってみるけれど、どれをとってみても決定打というほどものはなく、ことがすぎるまでじっと待つというような感じがする。少しずつ、自分の行ったワークインプログレスや実験などについて書いて行きたいと思う。

2012年3月16日金曜日

民俗芸能調査クラブ 発表終えて

民俗芸能調査クラブは、リサーチによってアーティストの手法を見出すための潜在的な力を高める目的があった。芸能を観察して実験に落とし込むことで、経験型の問いを投げあってきた。実験に落とし込もうとするときに、自分の問いが曖昧であることをみんな突きつけられて、何度も問い直しながらやってきた。
 今回は最後の発表だった。参加してくれたメンバーは、それぞれに問いのポイントを追いつめて行く手腕を手に入れつつあると実感した。それが個人的なものであっても、追いつめられてくると、とても普遍的な問いを投げかける実験となる。またそこには正解というものも存在しない。そういった意味でとても開かれた場が生まれるのを目の当たりにした。お客さんとして見に来てくださった方々も、実に多様な、それぞれに逆の意見や感想も出て、しかもそれらが悪い意味で感情的な空気を生むこともなく、抑圧し合うこともほとんどなかった。「違う」ということがこんなにポジティブな作用をもたらす場というのは本当にめずらしいと思う。翌日、私は久しぶりにとても満たされた気持ちで朝を迎えた。そして、実験というものが「メディア」としての役割を果たすと気付いた。それは、決して作品作りの前段階などではなく、全く別の役割を担うことが可能な新しい「メディア」となりうる。作品の上演という形態では不可能であったことが可能になる。今回の経験は、私の活動にとってとても大きな分岐点になるだろう。

2012年2月16日木曜日

「見立て」と「メタファー」

蛭ヶ谷の田遊びには「見立て」の要素がいっぱい。
例えば、妊婦さんがもう一人の誰か(たぶん男性、あるいは田の神さんばい?)と一緒に杵で麦を突いている。
というのは、単に農作業をやってみているかのようで、別の何かを願う呪術のようでもある。その二重映しになった景色というのが面白い。何かの物をそれ自身としてみることと、同時に別の意味を映し出して見る、その二重性というのは、英語のメタファーと同じではない気がする。



2012年2月10日金曜日

コンチキ号の冒険

息子に読み聞かせする目的で買った本だけれど、ものすごく面白くて夢中になって読んだ。
ざっくり!世界史とセットで読むと、これまたかなり面白い。
ハイエルダールという人がペルーからポリネシアまでイカダで旅をする自分の冒険談を語った本です。
行くところまで行ってしまいたい、という欲求をこういう風に叶えるのはとても素敵だと思った。

2012年2月9日木曜日

神戸滞在を終えて

展示のための撮影が終わって一段落。
何人かのアーティストやオーガナイザーとあって久しぶりに刺激的だった。
見たてについて、いろいろ考えさせられた。

齋藤孝のざっくり!世界史が、ざっくりと言うよりは濃厚な内容で考えさせられた。
社会的なダーウィニズムという言葉を始めて聞いて、私の中の欧米に対して抱いていた何かを少しクリアにできた気がする。
人々の潜在的なコンプレックスと善悪倫理の空気圧についても。

2012年2月7日火曜日

きりんの詩

オウベイしきしき
いのちからがら
いきのこり
ぼうりょくはんたい
しますしき
とちになり
めずらしきたてものがたち
いまではほろびた。

2012年2月5日日曜日

神戸滞在始まる

金曜の早朝から神戸に入って、長田神社にて追儺式という芸能を見た。ありがたい鬼さんが松明を持って裸足で躍る。鬼さんはたくさんいてそれぞれ顔が(仮面が)違う。そのうちの何人かが途中で頭を撫でてくれる。撫でて欲しい人が壮絶なバトルを繰り広げながら鬼さんの手の届く所に近づいていく。泣き叫ぶ子どもを親が羽交い締めにして連れて行ったりする。私は進んで撫でられようという息子について行って、ついでに撫でてもらった。その時の鬼さんの優しい手の感触が忘れられない。世の中にあんな優しい手のひらがあるだろうか?
そして息子の希望でおみくじをした。その時に出た言葉が、今の私の中にあったぐじゃぐじゃを見事に解いてキレイに取り去ってくれた。恩恵としか言いようがなく、この神社が本当に人々の信仰として役割を果たしているのだなあと、しみじみ思った。

2012年2月1日水曜日

別府の街を散歩

昨日は疲れが出たり、生理だったりで午前中はウィークリーマンションの部屋でまったりした。午後遅い時間からなんとなく街をぶらぶらしていたら、いきなり運命鑑定千円のお店があって、息子がどうしてもやりたいと言うのを、通り過ぎてグズグズしてたら、そのおじさんが出てきて生年月日をきかれて、もう鑑定が始まってしまった。私は手相で見てもらっても、てんちゅうさつで調べても何故かほとんど同じ結果が出るから面白い。今年の節分までは悪い運勢が続きますとのこと。

竹の製品を売っているお店が多いと思ったら、竹での物作りをする学校があるらしい。そのひとつで、竹の繊維で作った生理用布ナプキンを売っていたので買って使ってみた。これが最高に使い心地いい!

別府プロジェクトのプラットフォームが街の中にたくさんあって、あちこちに覗ける場所があるっていうのが楽しくていいなあ。

温泉はどこも百円!これも最高!しかもたくさんある。昨日は竹瓦温泉に行った。まるでお寺の中のような佇まいで温度も丁度よかった。今日は蒸し風呂に挑戦か?

2012年1月29日日曜日

ブオ~ブオ~、カンカンカンカン!

国東半島の修正鬼会という芸能を見た。
お寺の裏から少し山を登った所にちょっとしたパワースポットがあって、小さな神社といくつかの石仏が並んでいて、何故か異様に神々しい気を発していた。おでこが眩しくてしかたなかった。
仏事が始まった瞬間、法螺貝の笛と鐘が激しく鳴り響いて褌姿のお坊さん達が松明を持って走り出て来た!お経は、常にありがたく響いて胸に迫り続けた。仮面をつけられてお神酒を吹きかけられた瞬間の鬼が豹変して、飛び上がる様も目に焼きつく。ありがたいということばの真意について思った。

2012年1月27日金曜日

ひそんでいる暴力

批判的に人を見るときに起きること。自分がされたことを反射的に別の人に対してする感覚のひとつで、評価の値踏みをされる状況が、連鎖する。それを受けると、左の肺の裏が冷えるような感じがする。身体的に受け入れる器官が変質してしまうことで、互いの生きづらさを助長する。

そういうのも「なってしまう」ものと考えれば反応のひとつなのだろう。
観察することができなければ、人は自然に暴力を振るい続ける生き物なのだろうか?
それが自然なのだろうか?

意識的にではなく、人に心を傾けて関わりあって自然に受け止め合うこともあったはずの、その連鎖はどのように脈を失っていったのだろうか?肯定感覚を生み出す連鎖と、失わせる連鎖と、またそれ以外にも様々な連鎖の脈が入り交じって人を媒介として流れ続けて行く。だから、失っても、また取り戻したり、拒絶されて絶望しても別の所で受け入れられてよみがえったりできるはずだけれど、そのバランスが崩れてどんどん冷えて行く気がするのは、脈の流れをいっぺんに変えてしまったり断ち切ってしまったりするような、想像を絶する某かの「力」が人工的に、意識的に、計画的に加えられていることによるのかもしれない。その「力」がなんなのか?それというのが「暴力」と呼ぶにふさわしい何かなのではないだろうか?最終的に誰も望まない(暴力の首謀者でさえも)状況になっていくことを厭わない行為。そのような真っ黒何かが確かにあって、そういった中で見いだそうとする「可能性の世界」というのをどうやって思い描けるだろう?

2012年1月25日水曜日

暴力はメディアか?

中間発表を終えて、何人かのひとに、「暴力はメディアだと思う」というメッセージをもらった。
反応というのは「なってしまう」人の状態で、だから暴力はれっきとした一つの反応だ。望まずに暴力を振るってしまうという自分の反応に、なす術もなく苦しむ人もたくさんいるのだろうと思う。しかしそこには、別の反応にシフトする可能性が全く無いのだろうか?

暴力はメディアとなって次の暴力を呼ぶ、あるいは、主体もなく人を媒体として連鎖し続ける、または、暴力によって世界にメッセージを突きつけるかもしれない。そうだとしたら確かにひとつのメディアなのだ。暴力とは何か?もう一度考えようと思う。何度問いを重ねても掴み切れない言葉の数々に、何度でも観察を重ねてたちもどる。
見た目は暴力に見える何かが、実質的に別の何かを映し出すメディアであることもある。逆に親切に見える何かが実質的に暴力そのものであることもある。けれど実質が何かなんて誰に決められるだろう!

自分の反応に反応するとき、次元を超えて自分を生かし、人を生かすメディアになることができるか。それが、どんなにきつい経験であったとしても。

2012年1月18日水曜日

中間発表「実験して接近する」に向けてのムズムズ

先日、アートラボオーバでスズキクリさんに会った。そこで、今まで調査した民俗芸能を見てもらって、音楽においてのノリについていろいろブレインストーミングした。ノリの気持ちよさというのは、リズムや音のズレや揺らぎによってもたらされるのではないか?という話をした。花祭りには花祭りのズレや揺らぎがあって、それを継承して来た、ということなのだろうか?それって面白い。

また、「実験して、接近する」が近づいてきている。
合宿に突入。

民俗芸能が、その時々の時代に対してメディアの役割を果たしているとするなら、現代においてどんなものが人々のメディアであるのか?
テレビやマンガやゲームは圧倒的大多数の人々を同じ共有のノリや感覚に誘う役割をしているかもしれない。
その最先端をAKB48と仮定してみる。そして秋葉ダンスなどのストリートでは自然発生的になんらかのアウトプットが始まっていると見ることができるかもしれない。それらは、フィクションの世界の恋や友情などを現実に引き出して行こうとする衝動のようなものなのだろうか?
それらは、現実の生きにくさ、関わりにくさと深く関係しているのだろう。しかし、それらに向き合うというよりは、それらと向き合わないことを肯定する方向に加速してきたのかもしれない。

別のところで、生きにくさ、関わりにくさに向き合って来た、反応してきたメディアはあるだろうか?
メディアというのはあまりにも広範囲の言葉だが、現実に起きている様々な物事を映し出す、あるいは、人々に同じ物語や愛着を共有することで、ある種の一体感や仲間意識をもたらし、人々を位置づける役割をするもの。それは映像や文章、体をつかった何か、舞台、美術、他にもどんなところにそれらの可能性があるか?まだまだ、可能性はあるはずだと思う。

2012年1月12日木曜日

町の景色

この町に引っ越して来てから、いろいろな自分自身の反応があって、この町とのつきあい方もいろいろな変化を経て来たように思う。
今、近くの商店街に新しい「まちや」とうい場所を見つけて、そこは誰でも立ち入ってお茶を飲めるコミュニティーセンターのようなところだ。町の人が物を売ったりすることもできるし、教室が開かれたり、飲み会が開かれたりする。最初に知った「塩屋」にばかり目を奪われてこの場所の存在を知らなかったし、いつも前を通り過ぎるだけだったけれど、息子がここに入ってみたいと言い出た。それまで、私は誰でも入れる場所だと思ったことがなかった。通り過ぎ様に眺めて、そういう場所ということが分からなかったのが不思議だ。よく見れば、そういう場所なのだった。それで、そこに入って、お茶をしたり、そこのおばちゃんといろいろ話したりするのがとても心地よかった。そういう場所を町の人が自分たちの手で作っているというのが素敵だ。この町にとってまだ部外者の空気を出している私が、その場所に救われる。

そうやって、受け止められてる感覚を持って町を歩くと、町は今までとは違った親しさを見せてくれるように感じて、とても不思議だと思った。いつも、眺めていたはずの場所が、遠くなったり近くなったりするのは、ちょっとした心の変化によるのだなあとしみじみ感じた。

2012年1月11日水曜日

くやしさ

息子とババ抜きをした。
子供の頃は良くこれに負けるだけで泣いていた。息子も負けると泣いて、もうやりたくなくなったりしてしまう。それを指摘すると今度こそだいじょうぶだと言ったのでやったら、私が負けた。ババ抜きで負けると息子でも悔しい。
まだ、数を順番に並べるだけでも精一杯だけれど、ババを引かせたり、相手のババを引かないように気をつけたりする時はすごい集中している。別に、自分がどうなるってことじゃないし、何かの実力が上になったり下になったりするってわけでもないのになんでこんなに悔しい気持ちになるのだろう?

くやしいという気持ちもすごく不思議だ。
この感情も、すごくエネルギーがある気がする。
これによって突き動かされることっていうのもある。
トランプくらいじゃならないけど。

2012年1月9日月曜日

人と土地と

私は特定の土地に住んでいるということを、自分の中であまり大きく考えないで生きて来た。
けれども、本当に遠い土地に住むことになった時に、人と土地の関係は簡単でないということを思い知らされる。
それは、特別にトラブルがあるとか、ないとか、そういう具体的なことではなく、何か、自分という存在のありようが、しっくりくるかこないか、そいう曖昧な何かだ。

横浜に生まれて、関東のいろいろなところに引っ越しして住んだけれど、自分の存在ということについて不安を感じさせるような何かというのはほとんどなかった。けれども、九州の熊本という本当に、遠い土地で、知人が突然ほとんどいないような状況の中に身を置くと、自分の存在がほんとうに良くわからなくなって、心もとない。どれだけ時間をかけても、この土地の中で自分は外側でありつづけるだろうと感じる。しかし、それでも時間が経って、外側のポジションで生きるということに慣れて行けば、そういう中での自分のありようがしっくりくるということもあるかもしれない。

どんなところにいても、自分はいつもなんらかの意味で外側にいる感じだったし、それが結果的には良かったのだ。
自分のありようがしっくりくれば、力が湧いてくる。それで力が発揮できる。調子が上ったり下がったりする不安定さとは一線を画した、「しっくり」をどうやって手に入れるか、そこにかかっている。

2012年1月5日木曜日

寂しさについて

寂しさ、という感情は本当に不思議だ。
小さな子供は、親の姿がちょっと見えなくなっても耐えられない。
それは、自分の生命を守る本能かもしれない。
けれども、大人になっても寂しさから逃れることは決してない。
寂しさは、悲しみを生み、怒りに転じ、さらに様々なねじれを生じさせながら変容していろいろな所に影響を与え続ける。
だから、なるべく寂しい思いをさせないように子供を育てようと思っていままでやってきた。

だけど、寂しさもエネルギーのもとなんだと思う。
良しにつけ、悪しきにつけ、それが何かに変換するときにエネルギーは倍増するように思う。
エネルギーというのはそれ自体悪い物でも良いものでもない。何かを動かす力なのだ。
けれども、それはやっぱり明るい方向と暗い方向に引き裂かれた二つの方向性を持っているように感じる。