2012年9月2日日曜日

実験の感想2

実験を終えて、至らない部分は多々あったものの、すごくさわやかな気分です。
田仲さんも井手さんも、これ以上ないくらい切実な何かを抱えている二人で、おそらく怒りも、悲しみも、絶望も、切望もあった。そういった中で、Awayで公な場に向き合ってくれた。だから、そういう、もうどうしようもなくそのようでしかいられない居かたで実験を模索してくれた。実験としての推敲が至らなかった事実はあっても、今回はこのようにしかありえなかったのかもしれないという気もしています。これはこれで、何かを映し出し、何かを問い、また反応を生み出した。そこらじゅうに頭をぶつけながら歩き方を見つけるような、もどかしい方法で実験がメディアになるかの実験が進められて行くのだなあ。タフな作業です。そのような取り組みの私が抱える切実さを理解してくれている感想もあって、芯から励まされました。そう、「コンテンポラリーな現実」に向き合う難しさをどう克服していくのか、ですね。

とはいえ、様々な実験のアイデアが次々浮かびます。
一つは、実験を進めていくフォーマットをあらかじめ作ってしまうというもの。フォーマットにそって実験を展開せざるを得ない。たとえばお客さんの参加する仕方やタイミング、指示、時間配分、合い言葉?
マイクでしゃべるかわりに筆談で進める。紙に指示を書いてプロジェクションするとか?

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