2013年2月27日水曜日

ダンスとは何かについて

 演劇は、岡田氏も言うようにとても原初的な表現形態として誕生したし、人々にとってもメディアであり続けたように思う。それはヨーロッパの文化に限らず、どんな国にも、どんな村にも、それはあったのではないだろうか?

 でも「ダンス」という言葉で線引きされる言葉がさす物はなんだろう?その中に、「前近代的」と名指されるような表現が含まれるか?というと、およそ含まれないのではないだろうか?

 「ダンス」という英語についての話として、厳格に線引きして語るとしたら、その源泉はクラシックバレエであり、その後の動きとしてモダンダンスというようなことになるのだろうか?それ以外にもいろいろな名前で呼ばれたいろいろなムーブメントがあったけれど、それらは基本的に身体を統制することで、外側からどう見えるかという基準とコントロールの実感をあわせるようにして起きて来たことなのかもしれない。ただ、そのコントロールの実感が卓越していると外側からどう見えるかという問いを追い越してしまい、この世の物とも思われない何かが出没するということはあるだろう。しかし、そこには評価基準があるていど統一された何かとしてであっただろう。

 舞踏は、そういった流れの中でどう読み解かれるのだろう?
外側からどう見えるか?という基準はそのままに、その良しとされる評価基準が全く違うという解釈もできる。しかし、線引きできないさまざまな、「前近代的」と言われるような表現形態の歴史から何かを吸い上げる可能性は十分にあったはずだと思う。それについてアプローチしている人がどのくらいいるのか?知りたい。
 いわゆるグローバルな評価のフィールドの外にあるような活動をしている人々の中にどういった多様さがあるのか、まだ知らなすぎる。

 私は、外側から見た動きを導きだすコントロールができなくなる状態の身体に向き合って来たということなのだろうか?だとしたら最も反ダンス的なことをずっとこだわってやってきたということになるのかもしれない。それはどんな歴史に接続できるのだろう?何かに対して「反」であることなんてべつに望んでもいないのに。
 そういった身体が映し出すもの、見えない物が立ち上がって見えるような瞬間、現実に起きていることのシステムをあぶり出してみせるような身体の瞬間を立ち上げることができたらと、いつも切望している。これはどんな歴史に接続し得るのか?あるいはし得ないのか?


2013年2月22日金曜日

姿勢と意識のズレ

私が体について考えるときの参考にしている片山洋二郎さんの本に、姿勢と意識のズレについて書いてある。

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仙骨が後ろに傾いた上半身前のめりの緊張状態というのは、基本的に、とても落ち着かない気分になる姿勢です。「気持ち」は一生懸命に行っているのですが、足腰がついてこない。気分的には追われているような感じで、いつも何かをやっていないと落ち着かない。気持ちが常に前に行っていて、気持ちの焦点が「いま」に会わなくなる。
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こういう状態よくなります。特に本番が近かったり何かやらなければならないことがあるときに。それでどんどん悪循環になってなんにもはかどらなくなる。また、

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不安のという感情には根拠がないのです。
何を根拠に、この得体の知れない空虚感が胸の中に沸き起こるかといったら、いろいろな理由付けはできますが、それは突き詰めていえば根拠ではない。不安とは身体が生むものだからです。
(途中略)
逆に言えば、自信にも根拠はない。
(途中略)
人の評価は「気まぐれ」です。それに依存すればかえって不安は大きくなるばかりです。
真の自信というのは、自分の内側からわき上がるものです。
骨盤の動きに弾力があって深い呼吸ができてはじめて、身体の内側から満ち足りた感覚が生まれます。自分が十全に力を出しきることができるという確信は、勝手に根拠なく身体から湧いてくるものです。
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2013年2月19日火曜日

寂しさと線引き

私が、人の対応で何か寂しいと感じる時、だいたいこの線引きに関係しているときが多いようだ。線引きのない関係だと思っていた人が、何かの線引きの向こうに自分を押しやっているように感じる時など。

でも私も都合よく線引きして人を押しやっているときもある。たぶん。そんな時は悪気がないけど人を傷つけているのかもしれない。寂しい思いをさせているのかもしれない。

2013年2月18日月曜日

言葉を使うことについて

自分はなんでこうやって言葉にしようとやっきになるのだろう?
感じている事を言葉にしてしまうことの野暮さというのもあるはずだ。

詩や歌や、歌うという行為、それだけじゃない反応の仕方のいろんな可能性があってそっちの方が豊かもしれないのに。

ひとつ言えるのは、「正しさの基準」が押し付けられそうになった時に、自分ではそう思わなくてもそれが正しいかのように、そしてそれが正しいという視点から自分を見た時の自分に対してのどうしようもない否定感に苛まれるそういったことをさけるため、そうやって傷を負った自分の状態から、本来感じる事を感じるままに感じて構わない世界に自分を引き戻すため。ただ、逆にそうやって自分が言葉にしたことが他の誰かにとって同じように正しさを押し付ける暴力的行為になるおそれも大いにある訳だ。

そうじゃない方法をそろそろちゃんと模索してもいいはず。
そして、それは「見立てる」感覚、線引きを解く感覚、意味が意味をなさなくなるような禅問答のような何か、そういう意識の力によって得る事ができるはずで、やってる人はすでにやっていて、慎ましく当たり前に生きているのだ。

そう考えると自分の愚かさと傲慢さがはっきりと浮き彫りになってくる。

浸透圧

dividualityはおそらく浸透圧によって得られるようになるのではないか?と今回の上演を通して感じるようになって行った。
たとえば、意味不明の行為を共有する頻度が多い方が浸透圧は高まる。なぜなら、目的意識は線引きによってその目的を明確にしようとしてしまうから、体が線引きの世界に行ってしまうけど、意味不明だったら線引きの仕様がないから、なんとなくやっていく中で体でしらない間に何かを共有したり、共有されるノリやルールが生まれるのかもしれない。
子供の時代は線引きするものがないので、いろいろな人や物事との浸透圧が深まりやすい。民俗芸能はそういった人々の中に子供がいることで体の中に浸透していく何かなのかもしれない。

人々の中に浸透圧が生まれる仕掛けについて考えてみたい。
それが、人々にとって不快でない方法で。なんらかの手順を踏むという事なのだと思う。
あと時間をたっぷりかけるということだと思う。

見立てについて 考えるリスト

・家紋 三つ巴など

・てるてる坊主 中国がルーツらしい。

・手を合わせる さまざまな国や宗教で見られる。

・正月の飾り

・しめ縄(タイでもバリでも似たような行為と見える形のものがあった。入り口となる宗教の奥に別の何かが隠れていると感じる。)

・川が龍や蛇に見立てられ、あるいは逆?そして綱に見立てられ、綱引きの行事は九州にも沖縄にもある。

・漢字

・やまとことばの変形の仕方
 





ケルト人と呼ばれた人々


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・ケルト人とは
「ケルト人」とは、紀元前600年頃に古代ギリシア人が、西方ヨーロッパにいる異民族を「ケルトイ」と呼んだことに由来する名称。(ローマ人は「ガリア」と呼んだ)それはケルト語を話す文化集団の意味で、人種の名前ではない。「ケルト」とは言語・考古・神話・美術などを含むヨーロッパの一文化としての概念である。
ケルト人は、東は現在のチェコやルーマニア、トルコのあたりから、西はスペイン、アイルランドにいたる広大な地域に住み、山ひとつ超えれば同じ言葉を話す仲間がいると知っていても、国家を形成したことはなかった。それは、政治的社会構造に無関心だったことや、自然の中に神々を見出し、輪廻転生を信じる彼らにとって個の存在の方が大切だったのかもしれない。しかし生活していく上ではまとまる必要があり、彼らは部族としての単位で生活した。

・創り上げられたケルト人像
ヨーロッパの歴史に深く根ざしているケルトと呼ばれる人々の文化は、少なくとも今から25世紀前まで遡ることができる。「ケルト」という言葉を聞いて人がイメージするものは非常に多様だ。たとえばアイルランドの修行僧、キルト姿のスコットランド人、戦車で戦場へ駆けつける古代の勇士などを思い浮かべる人もいれば、サッカーや野球のチーム名程度の意味にしか思わない人もいるだろう。なぜケルト人のイメージが定まらないのか、その原因の一つと言えるのがロマン主義運動である。
ロマン主義運動がケルト人という民族に関心を寄せたのは、自然、未開性、神秘性といった概念に魅せられたからだ。

・ケルト美術の特徴
ヨーロッパ美術の源泉であるギリシア・ローマ美術は、自然主義・具象的な造形であった。これに対してケルト美術は全く逆である。自然の形態を全く無視し、移行しつつある曖昧な状態であるものを好んだ。この傾向は人間や動物を表現する場合でも、コンパスなどを使う幾何学的な構成を表現する場合でも同じだった。ケルト美術の目的は、宇宙のサイクルの根本であると考えられた、自然の様々な要素の不断の動きと変化を暗示することである。世界は常に変化にさらされているという物語がケルト美術には詰まっている。見える世界を見えるままに表そうとする描写的な方法は、ケルト人の眼にとってむしろ奇異なことだったと思われる

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/kawada(06-1-30)
ホームページから転用させていただきました。

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日本語文化圏の「見立て」について考えるヒントになる。

日本の中での言葉/西欧の線引きのルーツ/かつての日本での線引き

●言葉
私たち(おおまかな日本文化圏の人々)の感じ方が言葉に反映されている部分を観察してみたい。大和言葉だけだった時代と、漢字が流入して書き言葉によって物が考えられるようになった時代と、ひらがなを使用するようになった時代と、英語の翻訳語がたくさん使われるようになった時代とで、人の感じ方や考え方にどんな影響があったのか?について。

●俯瞰した視点のルーツについて
また、俯瞰した視点からの評価基準、それを貼付けて互いに見張るような関係が生まれる背景について考えている。
「17世紀のピューリタンの厳しい掟」について調べよう。

●西欧近代化以前の線引き
私にとって俯瞰した視点からの評価基準、そういった視線に対して自分を変えて行こうとするという行為が生まれて行った背景が、日本にとっての西欧近代化だと思っている。今の所は。しかし、それ以前にも、なんらかの線引きがあったとしたらどういったことがあったのか?についてもう一回考える必要がある。
差別について
士農工商について
法律に近いもの
契約書に近いもの

2013年2月14日木曜日

終演後 その3 定義、内と外


 そもそも、現代的な芸術活動をしているindividualなダンス作品と、民俗芸能の隔たりはとても大きく、そのどうしようもない足下の違いは何か?ということがわたしにとって大きかった。だから、今回の作品では、その隔たり自体に向き合うということが出発点だったのかもしれない。その隔たりを観察することが、作品を立ち上げることに繋がった。そのことに2年費やしたってわけだ。

 現代の芸術活動に繋がるとされる、芸術の起源はどの辺まで遡って考えられているのだろう? どちらにしても、芸術、という線引きの中に入れる事の出来る範疇というものが存在するはずだ。 それは「定義」という名で呼ばれるけれど、どんな人とも共有できる「定義」というものを見据えた上で言葉を使うという発想じたいが実は、俯瞰した視点なのかもしれない。それがヨーロッパ言語圏の関わり方の基本なのかもしれない。そして、それはグローバル化するという宿命があったのかもしれない。

 日本語の訓読みは、意味を固定しきらない性質があるように思う。 その代表的な物を、具体的に探したい。 ただ、「内」と「外」の身体感覚が言葉の使い方に影響を与えているけれど、「線引き」とどのように違うのだろう? 

もともとヨーロッパ言語圏の文化ではなかった人々が、そういった線引きの世界に引き入れられる前に持っていた関わり方が、さまざまな信仰や芸能や生き方を立ち上げていて、それ自体の機能が、コミュニティー別に棲み分けもしつつ何らかの繋がり、流れを持っていた。その力は、こういったグローバル化が促進される線引きの世界の中で、今後どのような役割を持つ可能性があるのか?それを、モノヅクリする私たちが模索できるならそこにいろんな希望がある。ただ同じように感じる人と出会うのが難しい。 

見立ての実験がしたい。その為の見立ての観察が必要だ。でも1人じゃ孤独だ。でも私は自分の中から押し出されるものを人に押し付けがちだから、うまく別の人の興味と関わりながらやるすべを身につけて互いにとっての創造的な関わりにしていかなくてはとも思う。

2013年2月8日金曜日

終演後 その2

虚像から旅立つ方向で、何かを試行している人は実はたくさんいる。 この作品「私的解剖実験−6 〜虚像からの旅立ち〜」を上演するにあたっての試行錯誤いて、それを思い知った。 「旅立ち」というキーワードでいろいろな人が繋がれる。 黒沢美香さんが、ニューヨークから帰って来ていろいろな試行錯誤をしていた時、ロンリーウーマンに行き着いたのも、そういったことだったと思う。そういうことを、もっと分かっていたら、若い人がそれい気付いて反応を起こしていたら、ダンスシーンは今と違ったものだったかもしれない。 私も気付くのが遅すぎる。とはいえ、私はロンリーウーマンで多くの示唆を受けて今の活動に繋がっている。 横浜のアートラボオーバもそうだ。ヅルさんとクリさんが取り組んでいる事のポイントみたいなものが自分の中で浮かび上がって見えて来た。 山賀ざくろも、中村久美も、私が引かれたのは、旅立ちに関係していた気がする。 それから、ジャワ舞踊の佐久間新さんがピクニックでやっていたことも、すごく柔らかくやさしく旅立ちをしていたのかもしれない。彼の旅立ちへの敷居の低さが凄い。たぶん、野村誠さんも、日常てきにいつでも旅立てる。だから時々会話が難しくなるけど。別府の勝さんも、わくわくというキーワードで語っていた事は旅立ちに関係している。 そうやって、いろいろな人がやっている気になっていた事がいろいろ繋がって見えて来た。いろいろな人と今こそさまざまな実験が展開できそうな気がする。 それから、本当は何かアウトプットに関わりたいけど、現実生活の中にいる友人たち、大切な大切な友人たち。彼女たちが何かに反応したい気持ちをもっていることを大事にしたい。それに対して私ができることを探したい。まずは手紙を書こう。

上演を終えて さまざまな問いが生まれ

忘れないように、ただ暴走的にメモを取り続ける。その1 日本に取っての西欧近代化の象徴とも言うべきひとつのキーワードが「万国公法」。 万国公法の根底にあるのは「自主国(主権国)」「半主国」「無主国」という国にたいする識別てき感覚。 これは「自主国」=individualと読み替える事ができる、と解釈して取り組んだ。 複雑なのは半主国だと思う。日本は鎖国をやめて開国した時から今にいたるまで、基本的には半主国と捉えられたままやってきたのだと思う。 そこに住む私たちの体も「半主」なのではないだろうか? しかし、「半主国」は「自主国(主権国)」にその半分の権利を奪われる運命にある。 そこから逸脱しようと思えば、自分も自主国になるべく、線引きを強固にしていこうとするだろう。そして別の半主国から何かを奪おうとするだろう。それが一人前の大人だという捉え方なのだろうか? 子供は、自分勝手にいろいろ奪い合おうとするけれど、体はdividualだ。つまり半主国だ。 それは、individualの世界にあっては、管理される運命にある。管理された中での平和。 その実、その管理体制の中で暴走する内発性は、確実に見えない暴力をむき出しにして行く。