2013年2月18日月曜日

ケルト人と呼ばれた人々


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・ケルト人とは
「ケルト人」とは、紀元前600年頃に古代ギリシア人が、西方ヨーロッパにいる異民族を「ケルトイ」と呼んだことに由来する名称。(ローマ人は「ガリア」と呼んだ)それはケルト語を話す文化集団の意味で、人種の名前ではない。「ケルト」とは言語・考古・神話・美術などを含むヨーロッパの一文化としての概念である。
ケルト人は、東は現在のチェコやルーマニア、トルコのあたりから、西はスペイン、アイルランドにいたる広大な地域に住み、山ひとつ超えれば同じ言葉を話す仲間がいると知っていても、国家を形成したことはなかった。それは、政治的社会構造に無関心だったことや、自然の中に神々を見出し、輪廻転生を信じる彼らにとって個の存在の方が大切だったのかもしれない。しかし生活していく上ではまとまる必要があり、彼らは部族としての単位で生活した。

・創り上げられたケルト人像
ヨーロッパの歴史に深く根ざしているケルトと呼ばれる人々の文化は、少なくとも今から25世紀前まで遡ることができる。「ケルト」という言葉を聞いて人がイメージするものは非常に多様だ。たとえばアイルランドの修行僧、キルト姿のスコットランド人、戦車で戦場へ駆けつける古代の勇士などを思い浮かべる人もいれば、サッカーや野球のチーム名程度の意味にしか思わない人もいるだろう。なぜケルト人のイメージが定まらないのか、その原因の一つと言えるのがロマン主義運動である。
ロマン主義運動がケルト人という民族に関心を寄せたのは、自然、未開性、神秘性といった概念に魅せられたからだ。

・ケルト美術の特徴
ヨーロッパ美術の源泉であるギリシア・ローマ美術は、自然主義・具象的な造形であった。これに対してケルト美術は全く逆である。自然の形態を全く無視し、移行しつつある曖昧な状態であるものを好んだ。この傾向は人間や動物を表現する場合でも、コンパスなどを使う幾何学的な構成を表現する場合でも同じだった。ケルト美術の目的は、宇宙のサイクルの根本であると考えられた、自然の様々な要素の不断の動きと変化を暗示することである。世界は常に変化にさらされているという物語がケルト美術には詰まっている。見える世界を見えるままに表そうとする描写的な方法は、ケルト人の眼にとってむしろ奇異なことだったと思われる

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/kawada(06-1-30)
ホームページから転用させていただきました。

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日本語文化圏の「見立て」について考えるヒントになる。

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