2014年1月11日土曜日

マイノリティーの嗅覚

子どもを持って、古いコミュニティーのあるところに暮らしていると、ある一定の法則にしたがってマジョリティーの営みに追随しなければならないような、そういう営みの日々の憂さに波長を合わせなければならないような窮屈さを感じるときもある。けれども、一度、大きくたがを外して生きてみると様々なマイノリティーの人の営みに触れる瞬間も少しずつ増えて行く。そういうところに行き当たることが多くなって、なにか鼻が利くようにもなってくる。そうすると、そこには楽に呼吸ができるような喜びがある。新先前よりも、そういう喜びの方に大きく舵を切ることが迷いなくできるようになってきた。

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