2010年6月14日月曜日

100614 シャトー

ちょっと前のことになるけど、おたふく風邪をやっている末期に、武蔵小金井にオープンしたシャトー小金井で「空き地」というイベントに参加した。空き地というのは本当にいいネーミングだ。私の生家の前に昔あった空き地が、私の幼少期の活動場所だった。そこでは、私自身の誰にも抑圧されない欲求がアウトプットされる場だった。あのときに発揮された体の心地よさが、体の奥にはある。息子には、そういった場所があるだろうか?ところで、その時の作品は私自身の体が会場にないというもので、お客さんには指示書だけが渡される。その指示書を書いた私自身の体が、読んだ人の身体と意識と関わる。その渡されていた時間、私はその街に潜伏した。そして、公演が行われていることを全く知らない、興味のないほとんどの人々とすれ違い続け、その中に身を置くということの、初体験が未だかつてない感じだった。その中に身を置きつつ、電話を握りしめて会場のことを強烈に思う。しかしそんなことはお客さんは全く知らない。私もお客さんの一人ひとりの感じは全く見ることができない。様々な課題はありつつも、そういう潜在的な物事が包含されている状況に今は興味があるのだなあ、と実感。

3 件のコメント:

  1. なつこさーん、すごいですね、なんだかいつも角度が常識の粋を超えていてアーティストだなあとおもいます。
    私はつきなみですが、自分の無意識の奥底がどこかほかの者とつながっていることに最近興味があります。
    でもどうやったらそこにたどりつくんだろう・・・?

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  2. たぶん、ダンナと子どもとはとっくに繋がっていると思うよ。
    たどり着くというか、そういう感覚があるのを認めるかどうか、という感じがするなあ。

    ただ、その繋がりはいい時ばかりじゃなく、そのことで身動きが取れない感覚に陥ったりといったこともあるかも。

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  3. ううむ。。むずかしいね。
    「今夜はぜったいカレー!」と思ったときダンナもそう思ってたりするとつながった!とおもったり・・
    なんか寝れなくて夜中に起きたら息子がげろったり、そういうのもつながりなのかなあ?それはただの直観かあ。
    二人が体の一部みたいな感覚と同時にものすごくとおーく感じることもあります。

    いい時ばかりじゃなく・・・というのはそうかーと思いました。私はあったかくて包まれてる感じを想像してたな。

    なんか人生相談みたい?すみま千駄ヶ谷

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