2010年3月10日水曜日

100310 欲求のいろいろ

そうはいっても、自分というものをしっかり人に認識してもらいたいという欲求はすごくある。
直接話しかけて欲しい。自分で自分を認識したい。人の視点に依って自分を認識したい。
そういうことと、「自分を押し広げたい」というのは延長線上の物事なのか?あるいはどこかで枝分かれしている物事なのだろうか?

息子は自分の作った物事に自分の名前をつける。
「きりん弁当」「きりん温泉」etc.
それって、親がそんな風に誘導しているのだろうか?

無視されるというのが、一番きつい。
無視するというのが一番の暴力になってしまう。
それは尊厳を傷つけられるからか?
尊厳を傷つけようという意志が時々人の関わりの中で起きる。
誰かの尊厳を傷つけたいという欲求が人の中にあるのはなぜだろう?
自分の尊厳を守ろうとする時に起きるのかもしれない。
もちろんそんな欲求はなくても、ざっくりとやってしまうという人もいるだろうけど。


どんな状況でも、相手に対して敬意を持ち続けるにはある程度努力がいる。
自分の子どもであっても、むかつく相手であっても。それを踏み外しちゃうと必ずトラブルが起きる。
人の関わりの状況は、このようなトラブルだらけといっていいかもしれない。ジャングルだ。
その中にあっても自分の原則を破らない努力がジャングルを生き抜くサバイバル方法なのだろう。結局は。
自分があくまで暴力を振るう立場でいる努力をする人は大勢いるけど、サバイバルになってるのだろうか本当に。
それって、爆弾を抱えていて、その爆弾を大きくして、貯金しているようなものかも。

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