2020年3月8日日曜日

自分の観察 2020年3月7日

定期的に自分の体に意識を向けて観察することで、日々の基本的な落ち着きが戻ってきた気がする。

ネットでの人々の見解の違いみたいなものが、それぞれの人の「恐怖を感じるポイント」の違いなんじゃないかとふと思った。例えば、コロナウイルスの重症化や致死率にたいして恐怖を感じるひと、コロナウイルスのまだ不明な部分がたくさんあることへの恐怖、間違った情報によって事態が悪化することへの恐怖、経済的な危機への恐怖、医療的な抗生物質の開発が加速することでウイルスの変化も加速することへの恐怖、不安を煽られることによって人々が冷静でなくなることへの恐怖などなどキリがないけれど、またそれらが複雑に絡み合っていると想像できる。私の場合、「情報の正解は一つである」と人々が思うようになり、それ以外の正しくない情報への恐怖が高まったり、その延長線上で情報を統制することを人々が望むようになる可能性について、怖いと感じているのだと気づいた。そのポイントが違うことを共に理解しあえれば、それぞれにもう少し緊張感が和らぐのかもしれない。

体の観察
自分が手を置いているパソコンと机の接点に意識を向けて、そこから床、壁自分の背後にも意識を向けてみる。時々、心臓がドキドキと鼓動が大きく感じる。そんな時はそこに意識を向けて観察してみる。息を吐く時に、背中の一番背骨が硬く歪んでいるところに吐きかけて、力を抜くことができることを発見。

部屋の観察
息子のピアノ練習の音。車が道路を行く音は昨日より小さく明るく響いている。その音が時々とても小さくなって、あたりがシーンとなる。時計の音が聞こえる。

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