2020年3月27日金曜日

街と体の観察 感じていること テンペルホーフで見た人々の小さな変化 2020年3月26日

今日もまた、自転車でテンペルホーフに行った。
人ができるだけ少ない場所に行って、息子が凧揚げを始めたので、私はシートの上で紅茶を飲みながらそれを眺めていた。ここ数日、おそらく一週間くらい信じられないほど良い天気が続いていて、今日も気持ちよく空が晴れて、風がとても強くて凧揚げにはもってこいだった。しばらく、夢中になって息子が喋りながら凧を揚げていたのだが、突然「あっ!切れちゃった!」と声を揚げたので息子が見てる方を見ると、凧の糸が切れたらしく、ものすごーく遠くに凧が飛んで行くのが見えた。息子は慌てて凧を追いかけていって、どうやらドッグラン(犬を遊ばせる広場)の中に落ちたらしく、声をかけて拾ってもらって帰ってきた。そうしたら糸がものすごく絡んでいたので、二人で糸を解き始めたがなかなか進まない、やってもやっても絡んでいるところがなくならない。凧を揚げてる時間より糸を解いている時間の方が長いくらいだ。だんだん日も暮れてきた。そして、よく見ると、なんだかテンペルホーフにいる人たちが、コロナの騒ぎで規制が始まる前のようなとてもリラックスした雰囲気になっていることに気がついた。昨日までとは様子が違う。どうしてかはわからないけれど。よく見ると4人組や3人組もいる。規制が入ってから、私も息子も、道行く人が何人連れかをチェックする癖がついてしまった。ベルリンの人たちがどのくらい規制を忠実に守ろうとするか?とか、ベルリンの人たちの生態を観察するのが私たちの習慣になってしまっているからだろう。もともとベルリンでは本当にいろいろな種類の人が生きているということを実感できる。特に、人目を気にせず面白い振る舞いをする人たちを見るのがとても好きなのだが、最近は緊張感がまして、人と人が目を合わして挨拶することも少なくなったり、笑い合うことも少なくなって、とにかく距離を測ることに神経を費やしているような印象だったのだ。けれども今日の夕暮れのテンペルホーフで、あのうっとりするような人々のざわめきが帰ってきた。それは夕暮れの野原と風と共に私たちを包み込んでとても幸せな気持ちにする。それはヴァーチャルな共感とは全く違って、また意識的に「連帯」することとも全く違って、全く別々の人生の、別々の目的の、いつか語り合うことも、再会することもないであろう人々のざわめきなんだけどその中にいると本当に幸せな気持ちになる。その間に漂っているものはいったいなんだろう?私の中にあった緊張や欠乏感がうそのように溶けていくのを感じた。本当に何気ないただのひとときが、自分を生かしている。

体の観察
自転車に長く乗ったせいで少し痛くなったお尻に意識を向けてみる。腰が少しこわばっている。意識的に腰を緩めると腸がすこしグルグルと動いている。首に意識を向けると、首が時々反射的に痙攣する。力を意識的に抜くと、大きな息が入ってきて、深い呼吸がおこった。

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