2020年3月19日木曜日

街の観察 感じてること 体の観察 2020年3月19日

街の観察
昨日、久しぶりに一駅だけ電車に乗って買い物に行った。電車の中では、基本的に人は黙って離れて座っている。一箇所だけお酒を片手に、飲みながら二人でおしゃべりしながら大笑いをしている男性がいた。買い物をしている人々の様子は比較的普通に見えた。外で、男性同士が肘をくっつけ合う挨拶をしていた。そういうのも馴染んでいけば普通になってくるのかもしれない。新しい発想を行き渡らせるのがヨーロッパでは早いようにも思う。

感じていること、考えていることの観察
太極拳で、オンラインでのレッスンがあると言うが、あまり乗り気になれない。こういう状況だとインターネットでのいろいろな工夫が展開しているが、なぜか、今、そういう流れに心が動かされない。というかどちらかというと、力が抜けていくような無力感が生まれてしまう。なぜだろう。

こういう時だからこそできる工夫をしたいと思って数日前にはとてもエネルギーが湧いてくる感じがあったけれど、インターネットの情報を見ているうちに、あるいはインターネットでの展開をみているうちに、何かそういこととコミットできない孤立感みたいなのを感じ始めている。

新しい状況に変わってくるときに最初にわくわくしたとき、何かしら今までの世界の中で死角の中にいたような人たちや物事が少しずつ浮かび上がってきて、新しい動きを見出すことができるのではないか?というようなことを考えていたような気がする。けれども、今のところ見えるのは、やっぱり今までと変わらずお行儀の良いおりこうさんな人たちの誘導でものごとが提案され、提示され、広まっていく世界にすぎない。それを、受け入れればそれなりに楽しい時期として受け止められるかもしれないけれど、なにかそれに心が乗っかっていかない。

とはいえ、この時期に大きな枠組みがぐらぐらと揺らいで、あるいは意識的に作りかえられて、思った以上に状況が大きく変わっていくだろうということも予想できる。何がどう変わっていくのだろう?それが良い方に変わっていけばもちろん言うことはないけれど。たとえば産業のありかた、経済のあり方、働き方、環境との関係、生活スタイル。
人とともに変えていけること、大きな組織の代表者が変えること、個々の意識の変化が大きな組織の決定を揺るがすこと、状況の変化に応じてなし崩し的に変化していくこと、自分一人だけで決意して変えていけること、それらが複合的に組み合っていくのだろう。
ネットの状況をみるだけで何かをわかったような気にならないことも大切かもしれない、と自戒してみる。

体の観察
喉のあたりの意識を緩めてみる。口の中に唾液が戻ってくる。
家にいる時間がながくなるにつれ、腰が少し痛くなる。部屋が狭く感じてくる。両肩に力が入っている。そこに意識を向け続けると呼吸が少し深くなって姿勢もよくなってくる。

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