2020年3月26日木曜日

街の観察 感じてること 体の観察 2020年3月25日 

日々、体の観察を基本にしようと思っていたのに、状況や人の言葉に翻弄されてしまうような感じになっている。本来日記というものは人に見せる目的ではなく自分との対話のためのものなのに、それを公開するというのもなんかおかしな話だ。でも、自分と対話しながら何かをアウトプットするということが自分に必要なのだろうか?

自転車のタイヤの空気が抜けていたので、近所の自転車屋さんに空気入れを買いに行ったとき、ものすごくたくさんの人が自転車を求めてきていた。もしかしたら、電車が運行を中止する可能性があって、あるいはそう人々が予想して自転車を買い求めにきたのかもしれない、とふと思った。

その自転車で今日はテンペルホーフに行った。久しぶりに自転車に乗ったら、慣れていないものだからとても疲れた。でも良い運動になった。いつものように卓球がやりたくて、卓球台のある場所まで行ったら、卓球台の周りに鉄の柵が張り巡らされていて、張り紙があり、コロナウイルス蔓延の心配があるので封鎖するということだ。こうなったら、テンペルホーフ自体の閉鎖もありうるかもしれないと、覚悟しておこう。最終的には外出禁止までいく可能性すらあることを覚悟しておこう。

本当に大切なことは、誰かに見られていることを意識せず書ける場所に書くべきかもしれない。自分との対話から物事を見るには深く潜らなくてはならないから。

ただ、夢想する。人が自分なりの感じ方や考え方でいろいろな工夫をする余地のある世界、それらが人によってそれぞれ違って互いに正しさを主張せずにすむ世界、それによって、互いに視点を動かして物事を見ることで、いろいろな可能性が開かれる世界を。

そのためにはまず自分が視点を動かし始めなければとも思う。そして、この先のことを考えよう。たとえ、様々な状況の変化の渦に投げ込まれたとしても、その中でどう生き抜くかについて。

体の観察
珍しく肩の力がすっかり抜けて腕がすっきりとしている。頭も、顎の周りも力が抜けているから、口の中の唾液が潤沢にある。全身の血管が小さく脈打っているのを感じる。その脈の音が聞こえるような気がする。

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