2020年3月14日土曜日

自分の観察 2020年3月13日 机の傷をサインとして読み取ってみる

ベルリンでは今までマスクをする人の姿をほとんど見なかったんだけど、今日スーパーで2人見かけた。これはなんかすごい変化が始まったのかもしれないと思ってしまった。息子も学校で一人見かけたそうだ。マスクをしている人が、うつさないようにと思ってか、自分がうつらないようにと思ってか、それはわからないけれど。

昨日の夜ちょっとしたことで目が覚めてから眠れない時間が長かったせいで、血流が悪いような感じがする。

自分の観察
後頭部、首筋、肩のあたりが何か滞った感じがする。でもそこにじーっと意識を向けているとくぐもった感じが少しだけ晴れてくるような感じがある。一番の要は肩甲骨の少し上の背骨で鈍いグレーな感じが覆っていて感覚が鈍い。と思ってじっと意識を向けてると今度はその感じが胃の裏あたりに移ってきた。そのあたりの背骨の左側の筋が長細く自己主張している。これを書いていると息子が左の肩をぎゅっと掴んだんだけどそこがすごいツボで、痛きもちいポイントで、息子はいつも私の体に何気なく触ったり押したりしたところがだいたい、今マッサージの必要な場所であることが多い。

部屋の観察
昨日は、スタジオの部屋でいろいろな場所をサインとして読み取ることをしながら、部屋の解像度がどんどん上がっていったので、今自分のいる机の上を見つめてみる。そこにはいろいろな傷がついている。体と違って机の傷は自己治癒をしないからずっと残っている。何かの履歴みたいだ。誰かがそこで作業をした、その時間を刻んでいる。
人の中にある傷も、その人が作業をした痕跡みたいに本当はそこに残っているのかもしれない。でもそれが目に入らないだけ。でもその傷に意識を向けるとそれは生きていて自分に何かを語りかけてくるのかもしれない。
もしこれが昔からの自分の机ならその傷は自分に何かを語りかけてくるのかもしれない。私が昔使っていた机は今どこに行ったのだろう。今誰かが使っているなら、私がつけた机の傷はその人の顔を見つめているのだろうか?

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