2010年3月9日火曜日

100309 欲求の種類

1)自分を押し広げる欲求と、
2)自分を壊して無くしていく欲求

この2つの欲求はどこかで繋がっているのか?
全くちがう種類のものなのか?

自分を押し広げようとしている物事や人々を見ると、気分が悪くなってしまう。
でも自分にそのような欲求が全くない訳ではないかもしれない。
自分のなかにあるそれを刺激されるのがいやで気分が悪くなるのかもしれない。
そこから逃れるように、私は二つ目の欲求を追いかけようとしているのだろうか?

また、二つ目の欲求はその先に何かがあるという予感がある。
手探りし、触れることのない何かへと先へ延ばされる手。

「欲」──人は神を仰ぎ見て、その到来を待ち焦がれます。その期待を「欲」といいます。「サイ」を供え、開口して羨望する形です。それに応じて、神は霊気のようなものをただよわせて、その出現のきざしをほのめかします。(神様がくれた漢字たち 白川静香監修 山本史也著 理論社)

2 件のコメント:

  1. こんにちわ。夏に帰省するので会いたいですねー!

    子育てしてると自分のことほぼできなくてウオーッ!
    てなるけど、あきらめてしまうとちょっと楽になりますね。持続しづらいけど。
    それは2番なんでしょうか??

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  2. ああ、どうなんだろう〜。
    そうあきらめて子供に向き合うと、すごい楽しい時間がたくさんあったりするよね。受けとめ役を楽しむというか。一緒に時間を楽しむというのをメインにして、それ以外は二の次って感じで、他のやりたいこと、やるべきと思ってることをやるときは、子供に「●●●こういう訳でどうしてもおかあちゃんはこれをやりたいの」と言ったりしてやりました。少しずつ許してもらえるようになるって感じですね。でも、これって欲求って言えるのか分からないなあ。なんせ子供が欲求の固まりなんで、それに共感しまくるとなんか楽しくなってくるんだよね。子供がつねに欲求不満になると後が大変なのかもと思ってます。

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