2018年4月25日水曜日

ベルリンでも日々の問い その4

ベルリンで生活しながら頭に思い浮かんでいる散らばった思考の断片

その1)何かを仕事に近い感覚でやる場合、楽しめない、やらされてる感じがする、屈辱感がある、立場的に弱い感じがする、っていうような感じが湧き出る時がある。そういうのは、頭で楽しもうとか自分なりの修行だとか言ってみてもなかなか自分を深い所で納得させるのは難しい。だけど、だれかが自分を心から受け止めてくれたり、こころからの優しさを示してくれたり、一緒に楽しめる何かを見つけたり、自分が満たされると急にいろいろな細かいことが気にならなくなったり、許容範囲が増していって楽しめるようになったり、相手がどう見ていようが自分なりの感覚を磨くこと集中することができるようになったりする。心の余裕って本当に必要で、それがない状態で、自分が惨めになって腹が立ってくると、いろいろな人が意味もなく憎く感じてしまうこともある。それはどんな人にも起こり得る。今の生きづらさや非寛容さはそうやって生まれてきたのかもしれない。できることは、自分が誰かを心から受け止める、一緒に何かを楽しむことなのかもしれない。

その2)人との距離感について考える。息子が誰かと楽しんでるけど、自分からは離れてくれている。その声を聞きながら自分の好きなことをする、この無上の喜びは何だろう。完全に離れ離れで、自分が自由な気持ちになるかというと、私はそうでもなかったりする。自分が一人きりで自由でいるということを、それほど望まなくなっている自分がいる。これは若い頃とは自分が変わったということだと思う。子供を産んだからかもしれないし、結婚生活のせいかもしれないし、あるいは年齢を重ねることによるかもしれない。誰かと一緒に生きるということ、その不自由さや面倒くささというのはあるけれど、折り合いをつけるプロセスを学ぶと、無上の楽しい時間がやってくる。だからやめられない。その時間を共有すると、一緒に面倒くささを乗り越えようという気持ちも起きてくるものだ。

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