2018年4月22日日曜日

ベルリンでも日々の問い その2

ベルリンに住むにあたって、日本ではいろいろな友人たちが壮行会を開いてくれて、たくさん前向きなお別れの儀式をした。この前向きな感じが、心身にジワーッと効いて、もう感謝の気持ちしかないという感じにいっぱいなった。この感じ、もし自分が死ぬときにも、こんな感じのお別れだったらいいのにと思った。人が死ぬ時に、こうなれないことの理由は、もう会えない、という気持ちなのかもしれない。だけど、死んだあと、誰にも会えないとどうして言えるのだろう?やっぱり死後に再会するんじゃないだろうか?または、次の生で再会できるんじゃないだろうか?そう信じることが、生きることを変えることもあるのではないだろうか?そう信じることは、感謝でいっぱいの死を迎えることになるのではないだろうか?お互いに前向きな別れを迎えられるのではないだろうか?そんなことを考えた。三日前くらいに(ベルリンに来てから一週間後くらいの時)、「日本を出発して遠くに行く瞬間」という夢を2日連続で見た。なんども、自分の中で出発を反芻しているみたいだ。実際の行動よりも、心はずっと遅れてついてきているみたいだ。

つづく

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