2013年3月26日火曜日

非文明的と括られてしまう文化について 2


その素敵な文章というのは、岡真理さんという方の書いた
「彼女の<正しい>名前とは何か」(青土社、2000年)の抜粋
pp132-139 <文化という抵抗、あるいは抵抗という文化>
で、インターネット上でダウンロードできます。

アフリカの文化の中にあるいわゆる「女性器切除」の風習について人々が批判するそのありようについて、別の角度からするどい眼差しを投げかける文章となっています。

さらにその中の一部を抜粋します。

※※※※※※※※※※※※


彼女たちが向き合っているのは、彼女たちの誇りやその抵抗の力を生み出す源泉としての「文化」の力は保持しながら、いかにして、たとえば性器手術という女性に対する抑圧的な行為(とそれに付随する府県主義的価値観)を批判し、廃絶にいたらしめるかという困難な問いである。そして、その作業には必ずや痛みが伴うだろう。それは文化という複雑なタペストリー(織物)を解きほぐし、織り直すという作業である。植民地主義の時代に、彼女たちの抵抗の力を支える文化を否定し、根こそぎにしようとした歴史を持つ社会に生きる私たちは、彼女たちのこの困難な闘いに、どのように協力し、どんな貢献をすることができるだろうか。私たちに問われているのは、そのようなことである。

※※※※※※※※※※※※

私たちの住む社会は、無自覚に、さまざまに他文化を抑圧したり否定したりしていることをもう一度思い起こしつつ、私たち自身の住む社会にも、切り捨てて来た文化に未来への別の可能性が宿っている事と重ねて見る。そして、この文章の中の1文「それは文化という複雑なタペストリー(織物)を解きほぐし、織り直すという作業である。」は今私がやっている途上の作業にとって光を当てるものだ。日本にある民俗芸能が存続不可能になってしまう時に、そういった歴史に身体的に接続する可能性を永遠に失うのか?あるいはそこに接続する新しい方法を見いだすか?それは、タペストリーを解きほぐし、織り直す作業となるのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿