2013年3月8日金曜日

関わりのシステムをあぶり出す

被災地の人々の中で、さまざまないらだちがお互いに差し向け合うような状況になっている。震災の被災地だけではなく、関東でもそうだと思う。復興の難しさ、放射能、経済難さまざまな問題に対して、さまざまな人の怒り、いらだちがわき出して、それをどこに向けてよいか分からない。それが、身近な人々への妬みになったり、恨みになったりする。自分の痛みや悲しみいらだちを、誰かのせいにしないと収まらない。

人々の中に生じるさまざまなことは、感情を共なった言動や行動で表れる。
しかし、なにごともないように見える日常、何も問題がなさそうに見える人々のやりとりの下には、実は潜在的にさまざまな感情が渦巻いているし、そのことが見えない所で人の行動や言動に影響を与えているのだ。

だから起きている事に大きな差は実はなくて、そしてどんなことも、関わりの形によって起きている物だと思う。個々人の心持ち、個々人の感情は関わりの差異によって生じたり生じなかったりするのだから。そして、それらの感情による言動や行動が、また関わりを形作って行く。その繰り返し。

だから「関わり」そのものがあぶり出されるような作品作りができたら、と思う。

この欲求と、身体そのものがメディアとして機能するという欲求は表面的には矛盾しているように見える。良く観察すると繋がっているのだと思うけれど。
しかし、矛盾している物事に取り組むことが常に重要なのかもしれない。

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