2021年1月7日木曜日

「恐怖」について/可能性の留保 2021年1月6日

ドイツではロックダウンが延期されて、私は散歩をしながら考える日々が続く。

暗示は恐怖を元にもたらされる。

恐怖を感じる時、恐怖をもたらされてる情報がどこから発信されてるかを観察する。

勉強しないと大学に行けないとか、大学に行けないと就職できないとか、就職できないと生きていけないとか。

あるいは年をとると醜くなるからこの化粧品を使わないといけないとか、病気のリスクがあるからこの薬を飲み続けなくてはいけないとか。

この商品を売らないと責任を負わされるとか、業績を上げないと恫喝されるとか、会社が潰れるとか。

恐怖をもたらされている人が、人に恐怖をもたらすことで商売をする。恐怖をもとに暗示をかけられれば、その習慣は一生続くこともある。その人が死ぬまで同じ商品を買い続けてくれる。

個人に対してだけでなく、信じる人々が多くなればそれが常識になるし、それが世論になる。世論に背くことは大きなリスクとなるから、その世論はより盤石になっていく。

そういうことにどこか怒りのようなものを感じてしまう今日この頃、しかし怒りでも恐れでもなく、自分に何かしら役割がもたらされるとしたら、私自身が自分とどう向き合うかしかない。可能性の幅を留保する練習をしていこう。

0 件のコメント:

コメントを投稿