2017年8月19日土曜日

お盆について 死後の世界観について その三

  仏教の教義についてちょっと考えて見る

お盆の行事では基本的に、亡くなった人を迎え、また送り届けるというように、死者とともに過ごす時間と言い換えることもできる。そしてそのイメージは仏教の教義が元になっている。盆踊りは、「念仏踊り」に由来するものが多く、その由来は、法然上人が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして「念仏」を唱えるようにさせた事によるらしい。念仏は「南無阿弥陀仏」で、これは法然や親鸞が説いた「南無阿弥陀仏」を繰り返すことで浄土に行くという教義が元になっていると思われる。この言葉は阿弥陀仏への敬意を示す言葉なのだろう。阿弥陀仏というのはどんな仏様なのだろうと思って調べてみると「amitahba」(アミターバ)という言葉の翻訳だという。アミターバというのは無量光(むりょうこう)、つまり光そのものというような意味だ。それはわかりやすく仏とついているけれど、仏像のような姿をした何かではなく、光としかいいようのない何かを擬人化しているというようなことなのかもしれない。そういえば、亡くなった人のことも「仏」と言うよな、と思って考えて見ると、人は亡くなったら光そのものになるというようなことなのかもしれない。

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