2013年6月4日火曜日

コミュニティーと前提について

コミュニティーというのはそもそも、某かの前提を共有する人の関わりのことなのかもしれない。例えば古い歴史を共有している、自然発生的な慣習法を共有している、ルールから発生したがそこから自然にある前提を共有するようになったコミュニティーであるとか、そういうのがいわゆる「村」的な印象を持つものであって、でも例えば新しい価値観を持っている人たちが自然にある場所に集まったり、あるいはアーティストコミュニティーとかであってもやっぱり、ある前提を共有するようになっていくものな気がする。

ただ、前提の共有し方が違うということなのか?

経験を共有することと、「正しさ」(こうあるべきであるという前提)を共有することは全然違う気がする。

前提を共有する人々の所にそうでない人が来た場合、その前提にどっぷり合わせないとうまく行かない場合が多いのかもしれない。しかし、前提が違うと感じる所を、ありのままでいられないとたぶんなかなかつらい。

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