2013年6月10日月曜日

「線引きされた団体」と「村」

「空気を読む」ということが必要になるコミュニティーというものがある。
そういうコミュニティーを「村」的と呼ぶことがあるが、本当の村は「空気を読む」のではなく、習慣的な法則によって生きるのが当たり前になっているので、それ以外に慣れていない、だからそれ以外の様を見るとビックリしてそれを笑ったり、怒ったり、噂したりするかもしれない。でも、「空気を読む」ことが必要になるのは、そこにある法則が空気を読むことで成り立っているからではないだろうか?そして、そこには空気を読み損なった時に、あるいは故意にその読みと外れた行為をした時に、権力者の感情を害するというような要素を含んでいるように思う。そこを一緒に考えない方がいいしもっと細かく観察したい。そうすれば、かつての村が持っていた要素のうまい再編成というものが可能かもしれない。そうすれば、もう少し先に進んで行けるのかもしれない。

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