2021年4月28日水曜日

感じること 方向付けの違和感 2021年4月28日

 自分が生きてる中で何かを感じることを、そのまま素直に感じるままに受け取ることができたらそれが一番自然でいい。けれども、それをいろいろなことが阻む。「こう感じるべき」とか「こう考えるべき」という、感情や感受性を一方向に向けるように仕向ける何かが存在する。それはだいたい「正義感」や「義務感」や「責任感」のような何かであることが多い。そして、互いに、周りの人に対してそれらを強要する空気が作られる。そうすることで、多くのヒトが同じような方向性に感じて考えて行動するようになる。また、そうして自分が方向付けされていることに気づかないことの方がおそらく多いのだろう。その中にあって、自分が感じていることを周りの誰もが共感できなかったり、それを語れる人が誰もいなかったりしたときに、本当に苦しくなってくる。だから、それを避けるために人はだいたい自分の感じていることを自分の奥に押し込めて、「感じるべきこと」を感じていることにする。「考えるべきこと」を考えていることにする。けれども、その自分の中の捏造には気づかない。それで、実際には苦しいが、苦しみの元がなんであるかを気づかないことの方が多い。その苦しみのはけ口を、「自分で素直に感じ、生きている誰か」に向けられることもよくある。それを向けられた人は、それを簡単に流せたら良いのだけれどそうもいかなくて、同じようにその怒りや憎しみに反応してしまったり、そのはけ口を向けてくる人の顔色を伺ってその人の言動や行動に合わせてしまうことも多い。そういった景色は小学生のころから繰り返し見てきたように思う。自分も時にはそれに巻き込まれていたかもしれない。そういった人の行動様式や性質を利用して、今、ものすごく大規模な「感じ方」の方向付けが行われている。しかし、同時にそれに違和感を持っている人が、あるいはそれぞれの人の心の深いところでの違和感が、少しずつ大きくなってきているのをも感じる。感じることに根拠はない。身の危険を感じる、という感覚が理屈じゃないのと同じように。

0 件のコメント:

コメントを投稿