2011年1月11日火曜日

垂直な緊張感VS「いずこ」への祈り


高千穂と壱岐の神楽(花祭り・獅子舞などとの対比)

12月18日高千穂の夜神楽、20日壱岐の大大神楽に思いがけず行く事になる。
夜行バスに乗っている間、最果ての異界に行くようなワクワク感に襲われる。
どちらも、交通の便が悪いので時間もお金も懸かる。けれども、それだけの価値があった。

どちらも九州だけれど、まず福岡に入ったとき、あまりの垢抜けた感じに度肝を抜かれた。
東京以上に東京的というか…。東京ってどんな感じかというのも曖昧だけれども、要するに中央的な匂いがするということか?
高千穂も、記紀神話のど真ん中と言ってもいい。また、花祭りと違って、そこに浸かるというよりは人々は見に来ているという感じがはっきりある。また、神様というものをある場所に祀ってあるその特定されるどこかに対する緊張感というものを感じる。愛知県の花祭りや、関東一帯に残っている三匹獅子舞などには、そういったものを感じない。特定され得ない「いずこ」に対する祈りの感覚とでも言ったら良いだろうか?その違いをもう少し観察できたら良いのだが。そういう意味では壱岐の神楽は、その具体的な神様に対する緊張感が、こんなに強烈な祭りは見た事がないという感じで、これまた度肝を抜かれた。垂直に神様に向かう線とでもいうような何かが共有されていて、そこには得体の知れない緊張感がある。とにかく、九州のあたりは、かつて中央であったであろうという実感と、それらは韓国や琉球など外側を意識させる、文化や行き交いによって生じた物事なのではないか?などいろいろな興味が湧く。

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