街の観察
土曜日に久しぶりに電気専門店に行った。長く並んだ上に、2階のフロアーには入ることができず、2階に売っているものについて店員さんに相談して持ってきてもらうシステムになっていた。それも、一人一人に対してすごく丁寧なので結果的にものすごくものすごく待たされた。でも、息子が手作りのパソコンを夏休み明けに購入する計画なので、その下見に行ったわけだけど、見れなかったのでカタログがないかを聞くと、ウェブページで調べて購入できることを詳しく教えてくれた。ドイツ語でどの言葉で検索すると良いかということを丁寧に一つずつ教えてくれる。待つ間はじれったかったけど、実際こうやって丁寧に解説してもらうとなんだか心が癒される。人と人にとってコミュニケーションの交換というか、親切な心の交換みたいなものが欠かせないのだなあと思った。
街を歩くと、椅子を置くことを禁止されていると思うけれど、何気なく椅子っぽいものが置いてあったり、何気なくそこに座って数人が喋っている姿を見るようになった。なんとなく妥協点を探っているような感じ。禁止する側も、そういうことを計算に入れているのだろうなとも思ったり。いきなり解禁にすると際限なく人が集まるといけないから、ものすごくゆっくり解放していくために、禁止事項はそのままに、お店を少しずつ開店させたりしてこういう状況になっているんだろうな。
「役割」ということについて、ずっと書こうと思い続けているけど書き始めることができていない。
母親とか、店員とか、アーティストとか、そういうのもひとつの役割かもしれないけれど、これにはいろいろな賛否があって、そういうもののないただの「自分」というものに戻れるのが良いという考え方があるけれど、私はむしろ「役割」というものの強さというか、それによって強くなれて、かつ満たされるということもあるように感じていて、うまく言葉にできていない。明日書いてみたい。
体の観察
とにかくここ数日とても眠い。ちょっと前までは逆に冴えていたのにどうしてだろう?
この眠気の源泉は、どうも腸のあたり、あるいは腸と胃のつながっているところあたり、の脈のあるあたりだろうか?そこにものすごく暖かいマグマみたいなのがあって、意識を遠のかせる。そこに意識を向け続けると唾液が満ちてくる。腕や足が脈打っているのを感じる。
2020年4月27日月曜日
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