2023年2月7日火曜日

はじめての止め刺し 2023年2月7日

春が立った翌日に、眩い晴天の中でまた猪の罠猟を経験する機会を得た。午前中にはある大学の授業を見学するような形で箱罠の止め刺しを見せていただき、解体の途中まで参加させていただいた。小さな雄の猪だった。かわいい、と思ってしまうような猪が、恐怖で立髪を逆立てて暴れ回る。ワイヤーを噛ませて口をくくりたいところだがたくさんの人に気を散らした猪はなかなかワイヤーに目がいかない。そこで足を素早く掴んでおりの外に引っ張り出し、直接ナイフを檻の中に突っ込んでとどめを刺す。途中で猪が悲鳴を上げる声も聞き、命のやりとりの厳しさを胸に刻む。たくさんの学生がそれぞれの感想や質問をかわして次の工程へと進む。大きな美しい校舎が立ち並ぶそこはかつて里山であり、猪もたくさん住んでいた。15年ほど前に校舎が建てられ、自然は残り少なくなったものの、周りに田んぼや畑があって残った茂みなどが猪にとって格好の隠れ家になった。大学のエリアは当然銃は使えないので猪にとって安心して子育てできる場所になったのである。しかし、学校の中で自転車やバイクで通勤している生徒と猪が鉢合わせしたり、食料を調達に行く猪が周りの田や畑があらしたりといったトラブルもあり、授業という形での狩猟を行うことになった。学生にとっての豊かな経験ともなっている。小さな猪のお腹を割いて内臓を取り出し終わってお昼休憩となった。その休憩中に猟友会の会長さんから電話があり、「仕掛けた罠に一匹かかっているから止め刺しを経験したいならおいで」とのこと。今目の前で見たことを、自分が行う可能性についてしばし逡巡…。学生さんがたくさんいるなかで、解体の経験はやっぱり学生さんが優先して行ったほうが良いし、私はここで中座してそちらに向かおうということになる。息子も一緒である。

 到着するとさっそく会長さんの軽トラの後を追って現場に急行。到着するなり、「これがかわいいんだな〜」と会長さん。こちらもさらに小さめな雌の子猪である。いよいよ、私がこの瞬間に向き合う時がきた。箱罠だけれども、ある工夫をして私が行いたいと思っているくくりわなと同じ状況を会長さんが作ってくださることになり、猪の鼻先にワイヤーをかませるべく奮闘してくださったがなかなかワイヤーを噛まない。そこで、やはり足を掴んで外に出す。先ほどと違うのは、脚の二本の骨の間にナイフを差し入れてそこに紐を通す。そして紐の先にロープを繋いで、そのロープは箱罠にしっかり結びつけて扉を開ける。しばらくすると扉の外に猪が飛び出し、くくり罠にかかったのと同じ状態になる。「さあチョン掛けしなさい」と竹の棒に連結したワイヤーの先にフックがついたものを渡された。猪の足に繋がっている紐にそのフックをひっかけワイヤーを木に巻きつける。「さあこれで身動きがとれなくなったね。棒で叩くなり刃物で刺すなりしたらいいけど、どうする?」と問われここでまた逡巡。しかし迷ってる暇はない。刃物で刺そうと思ったけれど、まだこちらにかかってくるイノシシが元気なうちに足で顔を押さえつけるのに抵抗を覚えて、叩いて気を失わせる方法に変更することにした。そうした決断を次々にしなければならない。そうした決断を私自身にまかせて全力でサポートしてくださる会長さんの人並外れた人間性をひしひしと感じながら、会長さんが切ってくれた重たい木の枝を手に取る。向き合う。命が私に向かってくる。生きようともがく。私はこの命に拮抗するのだ、そう思って自分の軸を相手の軸に合わせる。眉間だけを見つめて木の枝を振り下ろす。一発目で重い手応え。すでにぐったりとしているが続けて二回振り下ろす。ぐったりはしているけれどまだ身体は微妙に動いている。会長さんが「お母さんやるね」と息子に話しかける声が聞こえる。身体中で興奮と緊張がつづいている。正確な場所を教えていただきながら喉から心臓にむけて刃物を突き刺す。血を出すためだ。それでも足がもがいている。すごい生命力である。生命力は溢れ続けている。動かなくなると同時に目の光が消える。生きるということの意味が変わってしまいそうだ。人間というものがいったいなんなのか、もう一度問われ直すような、それでいて自分の立ち位置が明晰になってくるような経験として、私はこの瞬間を一生忘れないだろう。

 解体にも立ちあわせていただく。会長さんの場合仰向けにした猪の肛門の方から薄皮一枚をナイフで上まで割いて、胸骨を取り除き、そのあと恥骨を切って、他の内臓を傷つけないように食道の上部を切って全ての内臓を取り出す。心臓と肝臓を自食用に取り出す。まだ暖かい心臓と肝臓の感触を私と息子は手の上で確かめる。まだ小さいので脂肪は少なめだが、皮を剥ぐのはなかなか難しかった。小さいサイズで骨や体の部位をできるだけ正確に把握しようと目を凝らしながら立ち会う。

「昔は果樹なんかを育てていてもそのうちの一部は鳥のためにとっておいたりしてね、自然と一緒に生きていたよね。カラスのことを害獣のように言う人も多いけど、野生動物の食べた死骸を片付けてくれるのはカラスなんだよね。動物はほんとにみんな健気なんよね。一番の害獣はむしろ人間よね」

会長さんの自然への敬意と温かさが体の芯まで染みてきて、私の止め刺し初日を支えていただけた奇跡を思う。その日の出来事を深く心に刻みながら、前回とはまただいぶ違う味と食感の猪肉を家族と共に味わう。