2014年3月17日月曜日

拮抗に快がある 2

60年代に、さまざまなテント芝居や舞踏などのムーブメントが起きた。これらは、とても内発的なムーブメントだったのだと思う。よく聞く話では、この時代さまざまな飲み屋で、さんざん大声で議論(恐らくあまり論理的ではない議論?)をしていたらしい。そういう関わり方をしながら、何かを共有するコミュニティーであろうとした人々だったのかもしれな。拮抗する力は内発的なものだと思う。赤ん坊が拮抗しながら生まれてくるように。赤ん坊が生まれるときに、赤ん坊自身が促される感覚を内発的なもののモデルとして考えることができる。私たちの年代以降、徐々に、そういった関わり方を避けるようになったような気がする。なぜだろう?さらに一世代下の人たちは、一層、「熱くなる」ようなことも減り、さらに一世代過ぎると引きこもり、オタクと言われる現象の増加に繋がっていく。なぜだろう?何を良しとするかの美的感覚が変化したとも言えるけれど、拮抗することを避けようとするのは、そこに快が見出せないからか?それとも、環境の変化を含め、内発性をかなり強く抑えられるような状況が、生まれてから育って行く過程で平等に強いられているからだろうか?たとえば、出産も、病院というシステムの中で行われるようになった。出産で、拮抗に向き合うということは、生きるか死ぬかということだ。死をさけ、安全を得ようと思ったら、拮抗を避ける方向に行かざるを得ない。保育園、学校も、大体の所ではトラブルを避けるようにどんどんなってきて、それは拮抗に向き合わない方向に、人間関係に不穏なことが起きないよう、安全にするためかもしれない。また、逆に、そのことで、いつも近くにいる一人ひとりが何を考えているか分からない、という状況にもなる。それは、本当は不安を増大させているとも言える。向き合うことを避ける、トラブルを避ける、混乱を避ける、避けることによって、システムに依存する方向、統一管理される方向に人は体を委ねるようになって来ているのかもしれない。そして、システムの向こう側にはわけのわからない闇が潜んでいる。

拮抗に快がある

赤ん坊が生まれる時、胎盤は赤ん坊を断続的に締め付けて、そこから脱出しようとする。そのとき、おそらく相当強い抵抗に対して抗う感覚を伴うはずだ。それも拮抗と呼んでいいのではないか?それは、もちろん母子ともに苦しい時ではあるのだが、同時にすごく「キモチイイ」時間でもあるはずだ。そうでなければ生まれてこれないはずだ。庭や畑を観察していると、草は全力で生えようとするし、虫は全力で葉を食べ、あるいは虫を食べ、木もうかうかしていると幹を虫に蝕まれてしまうのだ。そうならないよう、それぞれの生命の主体と言えるような何かが抗う。お互いに抗いあう状態を拮抗と呼んでいいと思う。そこにはおそらくなんらかの快があるのだろうと思う。人と自然にしてもそうやって長い間抗いあいながらなんとかやってきた。

それが、ある段階のあるシステム転換によって、拮抗が起きないような状態にしていく力が働き始めたのだと思う。それが「管理」であり「統一」であるのかもしれない。そういう方向に力が動くことは、おそらく自然のシステムと大きく違う何かなのだろう。そして、バランスを著しく崩す方向に何かが動く。

人と人が関わるときに、拮抗しあいながら共有するコミュニケーションを長いこと続けてきた中で、そういった拮抗を起こさないようにする、人と人が直接向き合わない方向と言ってもいい、そういう方向に関わり方が移行して行く。ものごとを共有できない方向であるのだから、断絶していったり、不信を基本とした関係になっていったとしても不思議ではない。隣人同士であっても、元夫婦であっても、何かがあったら、法関係の人や警察に報告する。これを線引きのシステムといってもいいだろうか?