2020年4月15日水曜日

偶然・習慣・循環・調整 2020年4月15日

思考の整理 偶然・習慣・循環・調整

自分が日常生活を生きていく中で大切なことについて、ちょっと思いついたことがあったのでメモしておく。当たり前といえば当たり前のことかもしれないけれど。そして単語が妙に硬い。小学校の時の感じの練習を思い出す。ただ単に心地よく生活するためのことなんだけど。
・偶然(流れ)をつかむ
・習慣をつくる
・循環の度合いをあげる
・調整力をつける

偶然をつかむのと習慣を作るのは相反しているように見えて、どちらも大切なのだと思う。習慣を「規則」にしちゃうと息苦しくなって偶然の入り込む余地がなくなる気がする。心地よいから習慣的にやるようにする、という感じで続けるけれど、やれないときは無理をしないほうがかえって良い時もある。偶然をつかむには、たくさん起きてる出来事の中でアンテナに引っかかる感度が高くないと掴めないかもしれない。自分が何を欲しているかを自分で感じ取れないといけない。そのためには、自分を律しすぎない方がよいかもしれない。あるいは、修行のようにとことん追求するのも逆に良い場合もあるかもしれない。その場合は修行によって何かが削ぎ落とされる実感、あるいは感覚の変化の実感が心地よさにつながるみたいなことが必要かもしれない。
循環の度合いは、人に優しくされた分、人にも優しくするというようなことから、実生活で使うものの循環度、誰かとの物々交換、知人を人に紹介する、あるいは紹介してもらう、ものを溜め込まない、などなどできることをちょっとだけ意識的にしてみても良いかもしれない。
調整力について、何かがダメと言われた時、誰でも妥協点を見つけるべく交渉すると思う。それも一つの調整だと思う。今みたいな状況で「家にいなければならない」ということに非常な苦痛を感じる場合、あるいは経済的、身体的、精神的に自分、あるいは助けが必要な人々との関係において、この状況で可能な範囲をうまく調整することが必要な場合がある。調整することで心身を心地よく保ったり、助け合ったり、創造的な可能性を模索したりする必要があるだろう。そうでないと明らかに別の弊害がどんどん生じてしまう。なにかが「正しい」とされている時は、それによって起きる弊害にも意識を向けて、「ちょうど良い感じ」、の心地よさのためにできることを探すのも一つの調整なのだと思う。

同じ日の午後追記
習慣といっても毎日同じにできるわけはないので、その中に無限の偶然が潜在している。それをちょっと意識するだけでもいろいろな発見があるのかもしれない。でも偶然は目的意識を持って求めるともう偶然ではなくなってしまう。そこにいつもパラドックスがある。つかまらないように逃げ続けるにはどうしたらよいのだろう。目的意識から逃げ続けるために習慣があるのかもしれない。堂々巡りだ。

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