ロックダウンが延長されて、また時間が止まったような感覚がやってきた。スーパーに行ってもなんだか、買うものがマンネリになってしまい、特に野菜を選ぶときに、選択肢が少ないなあと感じる。ヨーロッパ独特の野菜を息子が嫌がるのであまり買わないのもいけないのかもしれない。でも、こういうのは日によって違うのだと思う。英語やドイツ語などやらなければならないことは山ほどあるけど、集中するにはモチベーションが必要だ。モチベーションが持てない理由の一つは私が頭の中で何やら考えてしまうからだろう。考えながらも言葉が明確にならない。浮かんでは壊れていくような感じ。物事が自分の内側でもやもやしているのだ。昔からそういう時間がとても長いのだ。言葉になったり形になったりするにはとても時間がかかるのだ。
西洋近代化について考え続けてきたけれど、ヨーロッパに来て、ヨーロッパ自体の近代化についても興味が沸いてくる。あまり難しい哲学書は読めないけれど、入門シリーズみたいな感じのフーコーをもう一度読んでみようと思う。ヨーロッパの哲学者になんらかの先入観があって、(上から目線な感じがして)あまり読む気になれなかったのだけれど、フーコーは私が感じていたことにとても近いと感じる部分があるようだ。
それとは別に「パパラギ」という、南海の島の酋長が語ったことが文章になっている本があり、なくなった祖母の本棚にあったものだけれど、何度読んでもすごく面白い。というか、なにかしら解放されるような部分がある。とくに、時間の観念がほとんどなく、なぜ時間を数えたり年を数えるのか、その理由が全くわからない、また、それに関して「死」ということについても語っていて、それがまたすごく良い。私たちの文明がどうしてこんな風になってしまったのか、考えさせられる。
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