ロックダウンの厳しい状況が長く続きそうな機運になって、最初のロックダウンの時と同じような種類の不安というか、閉塞感を感じ、自分で見えない檻に自ら入ってしまいそうな気分になった。これは、この時期に何かを学ぶというような感じでは乗り切れそうもないなと思った。自分の心の動きをもう少し積極的に動かさずにはいられないような焦燥感があり、41番線の電車に乗って一周回りながら手紙を書いた。寅雄氏とのzoom通話を文通に切り替えて一週間、zoomの時よりずっと向き合う時間が長いように感じている。なぜかというと、何を書こうか、と考え続けるし、書いている時には心の近くに相手がいるように感じるから。これは不思議な感覚だ。時間的な距離や時限的な距離を人がどうやって乗り越えようとするか、ということについて考えさせられる。
フェイスブックで繋がっていた人で、気がついたらそこから離れている人が増えていることに、今更ながら気づく。世界的な風潮としては、ロックダウンで実質的に会えない人が増えることで、インターネットでのやりとりが飛躍的に増える傾向にあるかもしれないが、インターネットでのやりとりに辟易してしまっている人もだいぶ増えているのではないかと想像する。私もそろそろ潮時か…。
情報を得る方法、あるいは発信する方法はもう少し工夫できるはず。
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