民俗芸能の調査をしていくことで、明治初期に、「日本」というアイデンティティーに向き合う日本の政治家や文化人が、どのような視線を日本自体に向けたのか?という問いを持つようになった。その当時残っていたさまざまな芸能は猥雑だったり呪術的だったりしたものがとても多かったけれど、「文明開化」という言葉が表すように、文明というものはそういった芸能を排していかなければならない、そして新しく学び作り出さなければならないと考えた人が多かったのだろう。そうやって、民衆にとっての「文化という抵抗の仕方」を法の名の下に奪ってしまった。そう感じる。だから私たちの多くは、文化としての抵抗の仕方を知らない。
非文明的である、暴力的であると批判される文化というものがある。そういったものに出会ったとき、それにどう向き合うか?とても悩ましい気持ちになる。先進国であるとか先進的で、一般的な文化とされる物事が基準になる視点というものの醸し出す「正しさ」の匂いみたいなのがすごく嫌だから。
と思っていたら、本当に素敵な文章に出会った。
つづく。
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