2013年2月8日金曜日
上演を終えて さまざまな問いが生まれ
忘れないように、ただ暴走的にメモを取り続ける。その1
日本に取っての西欧近代化の象徴とも言うべきひとつのキーワードが「万国公法」。
万国公法の根底にあるのは「自主国(主権国)」「半主国」「無主国」という国にたいする識別てき感覚。
これは「自主国」=individualと読み替える事ができる、と解釈して取り組んだ。
複雑なのは半主国だと思う。日本は鎖国をやめて開国した時から今にいたるまで、基本的には半主国と捉えられたままやってきたのだと思う。
そこに住む私たちの体も「半主」なのではないだろうか?
しかし、「半主国」は「自主国(主権国)」にその半分の権利を奪われる運命にある。
そこから逸脱しようと思えば、自分も自主国になるべく、線引きを強固にしていこうとするだろう。そして別の半主国から何かを奪おうとするだろう。それが一人前の大人だという捉え方なのだろうか?
子供は、自分勝手にいろいろ奪い合おうとするけれど、体はdividualだ。つまり半主国だ。
それは、individualの世界にあっては、管理される運命にある。管理された中での平和。
その実、その管理体制の中で暴走する内発性は、確実に見えない暴力をむき出しにして行く。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿